無一文同士


「これは」
 ツワルダーはネモロの話を聞き、二人でできるだけ裏道を通ってネモロの「借り部屋」に来ていた。
「ひどいな」
「えー」
 そこは高級楽器の聖地であった。グランドピアノだけでなく、弦楽器から金管まで、オーケストラに必要な楽器がほとんど揃っていたのだ。
「大通りに面したテナントビルの三階……成功すると思ったんだけどなぁ。お客様に最高級の音を提供するオーケストラ・バー!」
 ネモロは大げさに身振り手振りを入れて話した。言い終わると、むなしさを表現するかのごとく手をゆらゆら下ろす。
「なぜ成功すると思ったのか理解に苦しむな。ピアノはともかく、他の楽器はその時の演奏者に持ってきてもらえば済む話だろう」
「最高級、の音がいいんだって! だから僕はブランド楽器を買いあさって――」
「ブランドだろうがなんだろうが、普段使い慣れた自分のものが一番音色がいいに決まってるだろう」
「えー、だからさー」
「お前、救いようのない馬鹿だな……」
 ツワルダーは本音を言った。ネモロが頬を膨らます。
「まあ、お前が言うな、って感じだな」
 ツワルダーは、床に適当に座った。ネモロも床に三角座りしてうつむく。
「経営難であっても、テコ入れをすれば少しは立ち直るだろ」
「テコ入れする暇もなくつぶれてしまいましたー……」
「言い訳か」
「はいそーですよ」
 もはやネモロは投げやりだ。ツワルダーをここに呼んだことへの後悔すらうかがえる。
「……これが、本当にやりたかったことなのか?」
 ネモロは顔を上げ、ツワルダーの方を向いた。
「質問を変える。他に、一番やりたいことがあるんじゃないか?」
「……笑わないでくれる?」
「俺が話した時、お前は笑わなかった」
 そして、ツワルダーは、はじめてふっと笑んだ。
 本当はさっき人生の決断をしたばかりで、身体中傷だらけだ。それでも、自分の話を聞いてくれる。
 この人になら話せる、とネモロは思った。
「僕さぁ」
 呑気な調子でネモロは話し始める。こいつは目元だけでなく話し方もピッピに似ているな、とツワルダーは思った。
「クラブミュージックが好きなんだよね」
「は」
 それは別に隠すことではないだろう、もともとオーケストラ・バーをやっていたのであれば、音楽好きであることはツワルダーもわかっている。
「でも、父さんが……クラブミュージックなんて低俗だって。良家の子女がやるもんじゃないって」
「父親は確か不動産会社の社長で、金も貸さんと言ったんだろ?」
 ネモロの言うことには肯定も否定もしないが、ツワルダーが言った言葉の意味はネモロにもわかった。

「なら、もう好きなことをすればいいじゃないか」

120616