ナズワタリ地方南西部の小さな農村オーリには、駅がない。
 だが、崖の下を見ると、一両の気動車が一時間に一本通過していくのが見える。
 鉄路ってのはいいよなぁ、と、くせの強い紫色の髪をしばった青年はひとりごちた。オーリ村にも寄って、自分をどこかへ連れて行ってくれたら。
「ゴウー、もう見たー、見たらさっさと手伝いに戻んなさーい」
「へいへい」
 気のない返事をして、膝の泥をはらう。そんなゴウを“おや”とする一匹のサナギラスは、彼の様子をじっと見ていた。
「あー、お前、いたの?」
 ゴウはサナギラスをなでる。まだヨーギラスだったころは、一緒に鉄路を眺めていたが、今は崖ぎわすれすれまで行くことが、どうも怖いらしい。
「サナ……」
「心配すんなって。お前は進化するまではじっとしてていいから、な」

ひと夏の騒動

 いつもの作業に戻ろうと、ゴウが立ち上がったその時、崖の下からせりあがってくるような叫びが聞こえた。
「どいてそこどいてどいてどいてー!」
「っ……はぁ!?」
 ゴウはその予想だにしない事態から思わずまぬけな返事をしたが、自分と同年代ぐらいの女性と、彼女のポケモンであろうバシャーモが、崖を直角にのぼってくる姿を認め、素早く手をついて道を空けた。
 崖が終わると、彼女たちはよく耕された畑に突っ込んだ。全身で呼吸し、苦しさを紛らわす。
「あーっ! 畑が!」
「もう、崖ものぼれるランニングシューズができたからバリツちゃんにあげるぅー、じゃないわよっ! これめちゃくちゃ危険じゃない!」
 彼女は乱暴に靴を脱ぎ捨てた。ゴウは靴の裏を見る。市販のランニングシューズとは少し違っていて、底が厚くなっていた。
「まあ、バシャーモの特訓手伝う時ぐらいは使えるかもしんないけど……」
「お前、バリツとか言ったな……」
 ゴウは怒りを隠しきれずに言った。
「え、そうよ? セクシーな格闘家、バリツちゃんとは私のことだけど?」
「そうかそうかバリツちゃんか……っあのなぁ! 人んちの畑めちゃくちゃにしといて、先に謝ろうとかそういう考えはねーのかよ!」
「あっ、あー! ここ畑だったんだー! どおりで私もドロッドロになってると……」
「いいから畑仕事手伝いやがれー!」

 頼めば、このバリツという女性はなかなか真面目に働いた。数分働いて、ゴウもようやく世間話でもしてみようかという気持ちになる。
「……そろそろ休憩」
「意外でしょー、私畑仕事もできるの! バシャーモがまだワカシャモだった頃、このままじゃ体力で抜かされちゃうって思って、いっぱい動いたの」
 バリツとバシャーモは、ゴウの隣に並んで座った。ワカシャモならまだしも、バシャーモともなると、大抵の人間の女性は力負けしてしまう。それに、バリツのバシャーモはよく育てられていると、畑仕事を見てゴウにもわかっていた。
「まあ、結局体力では負けちゃうけど」
「それは当たり前でもあるな」
「そうだけど。でも、ちょっと悔しくない? 昔は私のほうが強かったのにーって。おまえさんも大きくなっちゃうんじゃろー? のうサナギラス」
 急に口調を変え、バリツはゴウのサナギラスに話しかける。今はほぼ動かないこのポケモンは、進化すると強く狂暴なバンギラスというポケモンになる。それを知ってか知らず科、サナギラスはバリツを、そしてゴウをじっと見た。
「サナギラス、でっかくなれよー。どうせでっかくなってやることなんて、畑仕事しかねーけどさ」
「えー、待って待って、バシャーモとバトルもしようよー!」
 バリツは、さもそんな未来が当然訪れるかのように、サナギラスに言った。今日知り合ったばかりのこの女性は、どこまで本気なのか。
「……また畑仕事手伝ってくれたらな」
「ほんと? やったー! じゃあ、また来るね」
「ああ、また」

 結局、その日はバリツと別れた。無味乾燥な日々が続く中、ゴウにとって久しぶりに味のある一日だった。