子供たちの星


 この町を離れると、突然父に告げられたのは、ボリジが十六になろうという時だった。
「は……?」
 そう言ったボリジの背後の窓からは、超高層ビル街が見えていた。ホウエン地方で一番テクノロジーの進んだ町、ラルースシティ。ボリジは、十歳から今までの多感な時期を、この大都会で過ごした。
「もとの場所に帰るだけだ。お前もサクハで生まれた。な、帰ろう」
「嫌だ」
 反射的に、唯一の手持ちポケモン、ライボルトの入ったボールを掴んでいた。
「嫌だ!」
 もう一度言って、ボリジは家を出て、エレベーターに飛び乗った。

 父の言った「サクハ」という場所、そこがボリジの出身地だった。両親も、ともにサクハの人間である。
 ボリジにとって、サクハとは荒れた場所だった。サバンナがどこまでも広がる、戦禍も広がる。ボリジの両親は、まだ幼い子供を持つ者として、“大統一時代”の不安定なサクハから引っ越すことを決めたのだ。
 迷路だのなんだの言われているラルースシティだが、ボリジは持ち前の好奇心で町中を散策し、道はほぼ覚えてしまっていた。歩道橋が架けかえられていたり、車道が増えたりは今も続いているのだが。
 ムービングウォークを突き進み、直角に曲がって、別の波に乗る。途中でぴょんと飛び降りて見えるビルの路地裏、そこにいつもの彼がいた。
「おっちゃん!」
「ボリジ。どうした」
 金髪のビリーがボリジを見た。傍らには彼のライチュウもいる。
「いけーっライボルト!」
 他には何も言わず、勢いだけでライボルトを繰り出す。ライチュウは真剣な表情になった。
「相変わらずだな」
 普段から町の元気な子供たちの相手をしているビリーだ、早速戦闘に切り替える。
「ライボルト、“火炎放射”!」
「“恩返し”」
 ライチュウは、ライボルトの火技を突き進み、思いっきり突進した。何度も手合せをした仲間だ、今更容赦なんてものはない。
「ライボルト、“電光……”」
「落ち着け。見てみろ」
「えっ」
 ボリジは深く息を吐いて、ライボルトを見る。ライチュウの技をくらったライボルトは、いつもよりやつれていた。
「出てすぐにタイプ違いの技を指示したからか、単に疲れていたのか」
「……」
「ボリジ。何があったんだ?」
 ボリジは、いつのまにか強く握っていた拳を緩めた。ラクライを捕まえる時だって助言をくれた人だ、隠しごとなんて通じないだろう。
「俺、引っ越す」
 その気落ちした声から、もうラルースには来れないぐらい遠くに行くのだということはビリーにもわかった。
「……いつ、だ」
「聞いてない、けど……荷造りはまだしてない」
「荷造りなんて一ヶ月もかからない。……友達との別れは、ちゃんとしておけよ」
 ビリーの言葉に、ボリジは少しがっかりした。いつも笑ってバトルを受けてくれるこの人だけは、ラルースの他の大人とは違うと思っていたのだ。
 けれど、言われてしまえば逆らうこともできず、ボリジは力なく頷いた。

 家に帰れば、素直に荷造りを手伝うものだから、ボリジの両親は驚きつつも、大人になったなぁ、と言った。ボリジは返事をせず、淡々と荷造りを続けた。
 学校でも、よく喋る友達には別れを告げた。ハイテクな教室ともお別れだろう。向こうの学校は木造だろうか、と、なんの知識もないのに想像をめぐらせた。

 ボリジは、がらんどうになった部屋から窓の外に視線を移す。今日限りでラルースシティとはお別れだ。
 行くぞ、と言われる。ボリジはボールを手に取った。
 行くわよ、と言われる。ボリジはボールをじっと見た。そして、口を開く。
「俺、やっぱり……もう一度おっちゃんに会いたい」
「おっちゃんって……その、ビリーとかいう」
「うん」
「駄目だ」
 たった一つの望みをすぐさま否定され、ボリジは眉間にしわを寄せた。
「なんで!?」
「あいつは駄目人間だ。この町の落ちこぼれだ」
「そんなことないぞ! バトルだって強くて……」
「それが何になる」
「……」
 ボリジは静かに怒りを抑えようとした。ビリーのことまで言われてしまえば、もうたまらない。
「時間はあるだろ」
 切れたらこちらが損するだけだ、と気を付けてはいたが、どうしても声に棘が出てしまう。
「駄目だ」
「……俺は行く」
 そう言って家を出ようとすると、父に腕を掴まれた。
「何すっ……」
「お前は勉強もよくできる。悪い大人と付き合うんじゃない!」
「……ビリーのおっちゃんは悪くねぇーっ!!」
 掌を開いて、ボールを落とす。少し転がって開閉スイッチが下を向いたその時、ライボルトはボールから飛び出した。
「ライボルト、頼む」
「わおんっ」
 ライボルトは階段を下り、町に出た。

「え、どうしたの、お前」
「ボリジのライボルト……だよな? 今日引っ越しの日じゃ」
 ボリジとよくバトルをする友達を見て、ライボルトは吠えた。そして、鼻先で路地裏を示す。
「ビリーのおっちゃん?」
「呼べってか?」
 ライボルトは頷き、自分の気持ちが伝わったことにほっとした。
「……何があったのかわかんねーけど、呼ぶわ」
「わおん!」

 腕を握られたまま、ボリジは一階まで下りた。荷物は港へ行ったから、あとは自分たちが空港に向かえばいいだけだ。
 いいかボリジ、大人っていうものは、と父は話しはじめるが、ボリジはそれには耳を傾けない。ボリジが聞き分けようとしていたのは、相棒ライボルトの足音だ。
「そこか!」
 一匹と数人の足音が聞こえ、ボリジは振り向いた。しかしその時、腕をさらに強く握られる。
「いてーよ」
「行くぞ」
「あのさー、俺今ライボルト持ってないんだぜ。さすがにライボルトは置いていけねーだろ」
 言って、父が返事を用意している間にボリジは腕を振りほどく。そして、足音の方向に走った。
「ボリジ!」
 ボリジが走ると、友人たちが顔を出した。乗れ、と言われて、ムービングウォークに飛び乗る。ライボルトも続く。その上で走ってしまえば、ボリジの両親は追いつけない。
「おっちゃん、いる?」
「いるよ。あっちに」
 もう会えない。このチャンスを逃せば会えない。
 両親の怒声を背中に受けて、ボリジはひたすら走った。

 着いたのは、小さな工場だった。
「おっちゃん、ここにいるの」
「そのはず。おーいおっちゃん、ボリジ来たぞー」
 一人がよく通る声で呼ぶ。ビリーは作業着の姿で出てきた。
「……ボリジ。大丈夫だったのか」
「おっちゃん、親父の友達なの?」
「友達というか、まあ、昔は」
 改めて見ると、ビリーはボリジの父と年齢は近そうだった。そして、手には多くのまめが出来ている。
「なんの仕事してるの」
 ボリジが問う。そこは好奇心が勝った。
「……今日は、電気をビリビリ流す仕事だ」
 ビリーはふっと笑った。
 何度も何度もバトルをしてきて、勝つ日も負ける日もあって、一緒にポケモンの話をしたり、サンドイッチを食べたりもした。それなのに、ボリジは、今のビリーを見て、彼のことを何も知らなかったのだ、と思う。
 はよ戻ってこんかい、と工場から声が聞こえた。ビリーはすぐに振り返る。
「おっちゃん!」
 ボリジはその背に叫ぶ。ビリーが歩みを止めた。
「皆が便利に暮らせる仕事なんだな!」
 だから、やっぱり俺は尊敬する。その場にいた友達も、うんうん、と頷いた。
 ビリーはまた、歩きはじめる。振り向きはせず、ただ親指を立てた。


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