紫の瞳


 いつの出来事かは忘れたけれど、あの子のことは憶えてる。

 どこかの田舎町だったと思う。
 小さな子供の嗚咽が聞こえてきたから、私はそちらに向かった。
 そこは茂みだった。その女の子――笠をかぶった褐色肌だった――は、必死で涙を堪えているようだった。
「どうしたの?」
 私は、その子の目線まで腰を下ろして、手を差し出した。その子は、そっと顔をあげる。
 髪型とおそろいの、綺麗な紫色の瞳で見つめられて、思わず私は見惚れてしまった。
「……おにーちゃんとはぐれた」
 そう言って彼女は、私の手をとった。
「それは困ったね。私ね、お手伝いできると思うよ。この子がいるから!」
 私は、ボールからリリを出した。
「デンリュウのリリだよ。どんなところでも明るくしちゃうの。あ、それと、私はイノ。あなたは?」
「……キュラス」
「そう、キュラスちゃんっていうの。よろしくね!」
 私もキュラスちゃんも立ち上がって、お兄ちゃん探しをすることになった。

 木がうっそうと茂る道は暗かった。空は曇っていて、月明かりを頼りにすることはできない。
 だから、リリの明かりが頼りだった。
「お家もわからないんだよね? 私も、どこから来たのかわからなくなっちゃった……あれ、キュラスちゃん、キュラスちゃーん?」
 ずっと隣にいたはずのキュラスちゃんがいない。
「パルッ!」
 リリが照らした方向に、キュラスちゃんはいた。キュラスちゃんは、大木に背中をくっつけて、小刻みに震えている。
「どうしたの? はやくおいでよ」
「やだ。こわい」
 キュラスちゃんは私たちから目をそらして、かわりに指差した。その先には、カゲボウズが一匹いた。
「チリチリチリ!」
「ひゃぁっ!」
 カゲボウズは一度消えて、私の目の前に出てきた。さすがにこれは驚く。
「こわい、こわい!」
「リリ、“かみなりパンチ”! ……ちょっと手加減」
「パルパルゥー」
「チチィ!」
 カゲボウズの身体からふっと力が抜け、その場に落ちた。
「さっきもね……そのポケモンが、ばぁって」
「リリが倒してくれたよ。ほら、もう大丈夫」
 そう言うと、キュラスちゃんもようやく足を動かしてくれた。それに気づいたカゲボウズは頭だけ持ち上げた。
 カゲボウズをおそるおそる覗き込むキュラスちゃんを見て、カゲボウズはおどけた顔をしてみせる。
「ね、怖くないでしょ。この子、きっとキュラスちゃんと一緒に遊びたかったんだよ」
「いっしょに……? わたし、遊ぶのは好き」
「うん。でもカゲボウズ、いきなりは駄目だよ。今日はもう夜遅いから、また今度」
「う、うん。また今度、遊んでね」
「チリー!」

 それから道を進んでいくと、リリの明かりの先に人影が見えた。
「あっ、おにーちゃん! あれだよ、見つけた!」
「えっ、あの子が? よかった!」
「えっと、ありがとう……リリちゃんと、イノ、おねーちゃん」
「どういたしまして」
 キュラスちゃんは、お兄ちゃんのもとへ行った。こちらから表情は見えないけれど、楽しそうな声が聞こえた。

 あれから何年が経っただろうか。
 ある日私は、グローバルターミナルなるところに来ていた。ここには世界中のトレーナーの情報が集まり、さらに世界に散らばるトレーナーたちがバトルしたり交換したりできるのだ。
「めんどくさい……」
「だからお前は、四天王になる前に社交性を身につけろってんだ」
「ラナン、私より弱いくせに……」
「はぁ。昔は“おにーちゃん”って呼んでくれてたのに、今じゃすっかり……」
「うるさいな」
 どこにでもいそうな兄妹の会話が聞こえてきた。でも、どこかで聞いたような声。あれから随分経っているのに、どうしてわかったのだろう。やっぱり、あの時涙を堪えていた、あの子だった。
 オレ他のとこ見とくから、と言って、お兄さんと思わしき男の子は、ワープパネルを使って別のフロアへ行ってしまった。
 女の子はどうしてもその場になじめないようで、壁にもたれかかっている。
「こんにちは」
 私は思わず、話しかけていた。

 振り向くその視線が、とても静かで綺麗で、少し見惚れていた。
「……なにか、ついてる?」
 ……憶えてるわけないよね。
「あ、ごめんなさい……ただ、瞳が綺麗だな、って、思って」
「そ、そう、かな」
「うん。凄く綺麗。深い紫、吸い込まれそう……」
「近い」
 私はいつの間にか、彼女のすぐ目の前に立っていた。
「ご、ごめんなさい! 今の忘れて!」
 私は慌てて、その建物を出た。

 大きくなっても、強いトレーナーになっても。
 その瞳は、いつまでも変わらない。


 110912
 へちょさん宅イノさんお借りしましたー!
 イノサン可愛いので大好きです。いつもキュラスを可愛がってくれて本当にありがとう!
 出会いのお話、こんなんでよかったかしら…?

 ※ラストの2人の会話シーンは、へちょさんに頂いた140字会話ネタを引用して小説っぽくしてみました。