雲外蒼天


 火山灰の降らないシダケタウンでは、木々の緑はより栄え、草も蒼天へとのびのび育つ。
 のどかといえばのどかだが、強豪トレーナーが踏み締めるにもまたふさわしい大地であった。
「暴れてこい、りょう」
「マッスグマ、お願いね」
 しょうとヒヨ、互いに長年の相棒を繰り出す。ヒヨもマッスグマも、ラグラージのりょうとは何度も手合せしたことがあった。
 手の内を知っているからこそ、繰り返しバトルすることは難しい。
「“はらだいこ”!」
「まずは、“波乗り”だ」
「後退して!」
 素早いマッスグマが先制した。まずは、自分の体力を犠牲にパワーを全開にする技で、ラグラージの高い能力に適応する。
 そして、真っ直ぐ走ることが得意なマッスグマは、波の威力が弱まるまでざっと後退した。
「“シャドークロー”!」
「“鈍い”」
 先制で能力をあげたマッスグマとは逆に、りょうは自分の素早さを犠牲にして攻撃力と防御力を整える。
 マッスグマの鋭い爪による攻撃は、それでもりょうには高威力だった。
「はらだいこで上げた攻撃力……並大抵じゃないな」
「もちろん」
「だけど……これはどうか」
 マッスグマの足元がぐらり、と揺れた。バランスを崩しかけるが、姿勢を低くして耐える。
「“地震”。曲線に攻めろ」
 ヒヨは目をみはった。りょうといえば、マッスグマが直線にかわせないように、地面を揺らすポイントを調節するのだ。
 マッスグマはゆるやかなカーブを走るのが非常に苦手なポケモンだ。今だって、できるだけ直角に曲がろうとして足がおぼついている。じわじわと地面を揺らしてくる技にイライラも募る。
 言ってみれば、ピンポイントでマッスグマを対策している。元来マッスグマはビギナー向けのポケモンで、公式戦などで強豪トレーナーが使うことはあまりない。
(私のマッスグマのために)
「決めろ!」
 マッスグマの自由を奪ったところで、強い揺れでフィニッシュ。はらだいこで体力を削っていたマッスグマには、それだけで戦闘不能たりえる一撃だった。
「そんな……マッスグマ!」
「なぜクチートを出さない」
 マッスグマに駆け寄るヒヨに、しょうは冷たく言い放つ。
「ヒヨの気が沈んでる原因……そっちじゃないのか」
 まっすぐ見つめてくるしょうの瞳に、ヒヨは萎縮した。普段は眠たそうにしているから余計なのか、真剣な表情のしょうは他者を刺すような威圧さえ感じられる。
「ヒヨ、ソラね、クチート見たいよ」
 その声に、場がふっと和んだ。二人が振り向けば、ソラが笑っている。
「しょうってめちゃくちゃ強いんだねー! でも、ヒヨももっと強いの! ソラ、知ってるもん」
「俺も知ってるよ」
 しょうは優しい表情で言った。ヒヨは眉間に皺を寄せながらも、一つのボールに手をかける。
「クチート! マッスグマのかたき、取りにいくよっ」
「クチー!」
 クチートはいつも通り、元気にボールから出てきた。いつもと違ったのは、その後本体の頭が振り返って、ヒヨの表情を窺ったことだ。
「……クチート」
 能天気で周りのことなどわかっていないと思っていた。
 しかし実際は傷ついていただろう、ボールの中で、ヒヨがソラに吐いた暴言もしっかり聞いていたのだろう、と、今になってヒヨは思う。
 傍で観戦しているソラだってそうだ。ここに集まるちょっと癖のあるポケモンたちだって、彼らの世話をするしょうだって。
 みんな、なにかしら複雑なものを抱えている。
「りょう、“波乗り”!」
 いきなり大波が向かってきて、クチートはパニックになった。その場をせわしなく逃げ回る。
 ああ、どうしたら。私が指示を出さないと……とヒヨですら困惑したその時、一本の木が目に入った。
「あれよ、クチート! その大あごで木の枝を噛んで!」
「チャーッ!」
 クチートは一つ大きくジャンプし、大きな口で思い切り木の枝を噛んだ。宙ぶらりんになった状態で、波を避ける。
「飛び降りた勢いで……“アイアンヘッド”!」
 勢いをつけたクチートは、ぱっと飛び降りてラグラージに頭突く。タイミングはぴったり合ったが、効果は今ひとつだ。
「接近戦なら……“地震”でいけ、りょう!」
「四肢を押さえて! “噛み砕く”」
 クチートはラグラージの右脚を狙って技を出す。そんなラグラージもクチートの足下を狙っている。
「地面相手なら慣れてる……!」
「耐えて、クチート!」
 クチートはよりいっそう強くラグラージの右脚を抑える。その苦痛そうな表情に、ヒヨも思わず表情をゆがめた。
 そして、知らず知らずのうち、縋るようにキーストーンに触れていた。
「ちょげー!」
「え、どうしたのトゲピー……ああっ!」
 真っ先に気付いたのはトゲピーだった。クチートは目をぎゅっと閉じ、ヒヨはクチートを案じていたため、気づくのが遅れてしまった。
「めがしんか、だぁーっ!」
 ヒヨの代わりにソラが叫ぶ。しょうも目を見張った。二つのいしが共鳴し、閃光がふたりをリンクする。
「クチャアー!」
 唸ったクチートは、増えたもう一つの大あごでラグラージの左脚をも抑えた。そのまま地震の勢いが消えるまで耐え続ける。
「クチート! メガシンカした……の」
 クチートは、こちらを向いた本体の頭で、自信なさげに微笑んだ。
「……あとは任せて。“じゃれつく”よ!」
 ヒヨの指示をもとに、クチートはラグラージの脚を開放し振り返る。そして、二つの大あご持ちとは思えないほどの全力の笑顔をラグラージに向け、その大あごごとまとわりついた。
「これっ……フェアリー技の!」
 もともと両脚を封じられていたために痺れも残っていたラグラージは、その大きな図体を草原に預けた。
「りょう、せんとーふのー。クチートの勝ちっ!」
 ヒヨの真似事をするようにソラが言う。
「かっ……勝った……」
 やったぁ、とヒヨは両手を広げる。クチートはそのまま走ってヒヨに抱き着くが、戦闘が終了したために途中でメガシンカ状態が解除されてしまった。
 それでヒヨは少し不安になる。
「ほんとにメガシンカ……してた?」
「してたさ。そりゃもう見事に」
 りょうに元気のかけらを与えて、しょうが言った。りょうもうんうん、と頷く。
「楽しいバトルだった。ヒヨもそうだったんじゃないのか」
 しょうに言われて、ヒヨは経過を振り返る。
 とっさに木を利用して指示すること、これはここ数ヶ月のヒヨの戦法になかったものだ。
 自分の目標は強いポケモントレーナーではなく審判だ――という念にとらわれすぎて、公式戦でのルールを意識するあまり野良バトルの楽しさというものを忘れていたのだと、今にしてヒヨは気づいた。
「ありがと、しょう、りょう。大切なもの思いだせた」
「別に何もしてないさ。ところで」
 施設の建物から少しずつ遠ざかろうとするヒヨに、しょうは駆け寄る。そして、ヒヨの肩にぽんと手を置いた。
「もう帰るのか」
「えっ……」
 急に縮められた距離感に、ヒヨはどぎまぎする。その見たこともない表情を見て、ソラとトゲピーは抱き合って動向を見守る。
「……夕方までは、いようかな」
 その答えに、しょうは優しく笑った。
 無心でホウエンを旅していた時代からの腐れ縁だ。こうやってたまにバトルもする。
 しかし、わざわざヒヨから会いに来るように、それ以上の関係でないこともないのである。


160320 ⇒NEXT