星の由緒


 何だか、急にジムが広くなった気がする。ここが出来て、すでに数年が経っていて、設計・デザインは拙いながらにコアが行ったのだ。当然ジムは広く作ってあるし、遊園地さながらの巨大ギミックがそびえ立つジムの内部からはBGMが鳴り止まずに響いている。騒音じゃないのか、とジムのトレーナーたちが気にしていたがこのヘキサシティにいる人達はこれが一種の名物みたいなものだと楽しんでくれているようなのでコアとしても満足している。
 「ばう」と、レントラーがコアのもとへやってきて、頬を舐めた。遊んでほしいのか、かまってほしいのか。もしかしたら、コアがそんな顔をしていたのかもしれない。挑戦者のいないジムの暇なことと行ったら無い。いや、仕事は見つければいくらでもある。このヘキサシティの人工島はコアが作ったのだ。コアが実質上の為政者となっているわけで。柄でもないので、もっと上手い人にまかせてあるが、最終的な書類のチェックはコアがすることになっている。ジムの執務室に戻ればそんな書類が山になっているわけで。――レントラーはもしかしたら、それをしろと急かしているのかもしれないな、とジムのバトルフィールドのジムリーダー側に座り込んでぼんやりと眺めている。
(なんで、こんなに暇なんだ?)
 今まで、暇と感じたことがなかったなぁ、などと思いながらあぐらのままごろりと土の上に転がってみる。レントラーのお腹あたりに頭が当たる予定だったのに、レントラーにうまく避けられてしまったせいで、コアは仰向けに倒れ込んでしまうこととなった。サンダースがこちらをのぞき込んできてなにか言いたげだ。
(ああ、知ってるよ)
 ――サミナちゃんが、デイジという砂の民に出会い、旅立った。
 だから、このジムが少しだけ広くて、暇になってしまったような気がしたのか。

 彼女が初めて訪れたのは、このジムが出来てすぐの頃だった気がする。まだ、ジムリーダーとしては未熟な自分に実は不安を感じていた。相手を倒すだけではなく、導く必要があるジムリーダーの役割に少なからずプレッシャーなんてものを感じていたわけで。最初は、コアが勝った。その後も、彼女は実力を上げてコアを倒した。――そして、ライザーチャームを手渡した。ジムリーダーとしての役割を果たしたあとも、彼女は何度も何度もジムにやってきては、バトルを繰り返した。「またかい?」なんてことを口にはしたが、意外と楽しみだった。――なんて、本人の前では絶対に口にしないが。
 勝ったり、負けたり。ガリオンやラルクとも随分とバトルするが、サミナともバトルも特別なものだった。彼女が強くなっていくのを見るのはすごく楽しみだったし、ヘキサシティを満喫してくれる彼女には何度も料理を振る舞ったり、戦略の話を交わした。
「……今頃は、トリシティかなぁ」
「誰が?」
 頭上から降ってきた声とともに現れた影にコアは慌てて飛び退いてしまった。ああ、なんてことだ。見間違えるはずもない、赤い髪がさらりと揺れて落ちる。青と緑の瞳がコアをのぞき込んでおり、直ちに膝をついて最敬礼をしなくてはと思ったコアを制したのはアスナであった。赤い髪によく合う深いカーキ色のニットのセーターにグレーのカーディガン、秋の色合いの深いワインレッドのスカートの装いではきっと彼女が神子であり、このミタマ地方の英雄などと誰も想像しないのだろう。
「今日はオフなんだ」
「ご、ご連絡いただければ、お出迎えに行きましたものを……」
「やめてくれ。私は神子ではあるが、この地方の王というわけじゃない。知ってるだろう?」
 アスナはにこやかに笑いながら、コアに手を伸ばして立ち上がるように促した。手をお借りするなんて恐れ多い、という思いもありながらコアは素直に差し出された手をとって立ち上がる。実は女性ながらも、アスナのほうがコアよりずっと背が高いのだ。アスナはバトルフィールドをぐるりと見回したあとに、レントラーの頭をなでた。
「うん……? 退屈なのかい?」
 ぐるる、と撫でられて喉を鳴らすレントラーはアスナに体を擦り付けた。トレーナーは自分のポケモンが何を言わんとしているか大体伝わってはいるだろうが、アスナは会話をしていた。
「そう。いつも、バトルしに来てくれていたトレーナーが旅立っているのね」
 そこまで、おわかりになるのですね。という言葉を飲み込んだのは、コアがアスナの後ろで渋顔をしている青い髪の壮年の男性――ハルの姿を見つけたからだ。彼はコアと同様に、オクタタウンのアルディジムでジムリーダーをしている。アスナからして、十も年上の兄である彼は所謂シスコンというやつで、妻子ある身ながらもアスナの事となると目の色も顔色も変わるほどだ。出来うる限り彼の機嫌を損ねないほうがいい。ジムリーダーたちの実質上の中心格であるハルは神子の家系の本流の長兄ということもあってか、ミタマ地方での発言力も十分に持っている。
「ハルさんもお越しになられていたのですね」
「ああ、うん。アスナちゃんがカロス地方から帰ってくるって言うからお付き合いしようと思ってね」
 ジムはどうしたのですか、という発言は今更このひとにとっては無意味なものだ。きっと、ジムは彼の長兄がしっかりと引き継いでしばらくの間動かすのだろう。確か、ついこの間成人の儀式が終わったはずだ。(ハルは、末の妹と息子の年が四つしか離れていないので、末の妹はもはや娘同然の扱いだった)
 しかし、とコアはレントラーやサンダースと戯れているアスナを見て考えた。オフならばジムに訪れる必要性はない。アスナというひとはオンオフがはっきりとしている人で仕事じゃないなら、仕事の話はしない主義の人なのだ。おそらく、用事はこのヘキサシティ最大の遊園地である。アスナはここを大層気に入っていて、カロス地方に住まう家族と何度も訪れていることはコアも知っている。
「今日、用事があったのは俺だよ」
 ハルがそう言って腕を組み直した。まるで心でも読んだようなタイミングにコアは肩を震わせた。ああ、忘れていた。この方々は神子の家系。人の心を察するなんて朝飯前のことだった。
「あれは届いたかい?」
 ハルのいうあれ、に一瞬心当たりがなかったコアだったがすぐさまに思い出したああ、と頷いた。ええ、届きました。と返事をするとハルは満足げに頷いてみせた。ハルという人物はジムリーダー以外に仕事を持っていて、実はそっちが本職であり、非常に重要な役割で――彼は彫金師である。金属や鉱石を加工してアクセサリーなどを作り出す。ミタマ地方のジム戦勝利の証であるチャームは実は彼がすべてエーディアの涙と呼ばれる特別な鉱石から手作りしているものなのだ。そんなハルにコアは一つだけ注文を出していた。本来なら、彫金師に頼むようなことではなかったのだが……ものがものだけに、ハルに頼むのが手っ取り早かったのだ。
「エーディアの爪で作ったヘアピン」
「ヘアピン?」
 アスナが首を傾げた。
 まあ、その反応が妥当だ。ミタマ地方で最も多忙な彫金師であるハルにヘアピンを作らせるなんてとんでもない贅沢な代物だ。しかも、エーディアの爪というのは、エーディアの涙と同じぐらい希少な鉱石だ。まあ、ヘアピンなら大した大きさでもないので、金額的にはそんな大きな額にはならなかったかもしれないが、普段遣いのヘアピンにするには些か贅沢ではないだろうか、とアスナはレントラーの頭をなでながら考えていた。
「うん? エーディアの爪は兄さんが仕入れたんですか?」
「いいや。コアがこの間、ルーナカップで準優勝したときの景品だよ」
 アスナの疑問にはハルが答えた。ああ、なるほど、とアスナは納得がいった。
 ミタマ地方では随分と近代化が進み、ポケモンバトルの大会もミタマリーグのみならず、多くの大会が開かれるようになった。エーディアの名前を冠したエーティアカップに始まり、月と太陽のルーンカップ、シャインカップなど――それらの大会の景品にはそういった希少な鉱石が出されることがあるのだ。確か今回のルーンカップの優勝賞品はエーディアの落ち羽根から作られた羽ペンだったとか。優勝者であるアスナの弟のクラウが自慢気に話してきたことを思い出す。
 だが、そのヘアピンはコアの髪にはついていない。やはり、普段使いするのには気が引けたのだろうか。
「ああ、あれは俺用じゃなくて……」
「贈り物?」
「へぇ、デザイン的に女の子かい?」
 にやり、とハルが笑った。隣のアスナも似たような顔をするので、やはりこの二人は兄妹なのだと、いらないところで納得がいってしまった。
「兄さん、どんな意匠だったのです?」
「うん? ああ、アスナちゃん、とても素敵なデザインだったよ。星がモチーフなんだ」
「星……?」
「そう。大きな星が一つついたシンプルながらもこだわりを感じるデザインだった。なるほど、あれをプレゼント用にするなんて、なかなかにくい……」
「やめてください、そんなんじゃなくて……」
 コアが言い繕おうとして声を出したところで、アスナがいう。

「応援?」

 コアはぴたりと動きを止めた。
「ほら、エーディアの爪は、勇気を司るラーディ様を意味するじゃない。そして、エーディア様が空、ティエールナ、サニーユエルが月と太陽、ユーリア様、エニグマ様、ラーディ様が星を指すから……爪の鉱石を使って、星の意匠だけのシンプルなヘアピンは「星の導きがあるから、勇気を出しなさい」ってことじゃないかなぁって……」
 アスナが固まってしまった二人に対して慌てて自身の解釈を述べた。星とは古来から、夜に人を導く大事な光だった。星から方角を読み、次の天気を読んだりと星はあらゆる面で人にとっての導き手だった。あなたには星が輝いている、爪の星はラーディ様の意味。ラーディ様は人の勇気を司っている。ならば、コアはそのヘアピンをプレゼントした相手に勇気を出してもらいたかったのではないかとアスナは考えたわけである。
「……なるほどね、作った本人はそこまで考えてなかった」
 ハルが納得して頷いた。
 コアはいぜん固まったままであったが、徐々に顔が赤く染まっていく。
「見込んだトレーナーなのね」
 アスナが優しく微笑んで言うものだから、余計に恥ずかしさが増していく。いや、コアはアスナの末の妹と年が変わらないせいか、まるで弟であるかのように扱われることも多かったがそんな微笑ましく見られてしまうと、恥ずかしくて仕方がなかったが、図星だ。アスナの読みはよくあたっている。ラーディ様の加護で、少しでもあの子が勇気を持って前に進めたらいい、と思ったのだ。ラーディ様の導きは、いずれ正しい道へと進むことができるようになるという神話の話にあやかった代物だった。――サミナの旅立ちに、箱もつけずに手渡したヘアピンは。
「……アスナ、様は」
「うん?」
 コアは言葉を切ったまま話さない。
 アスナは続きを促すわけでもなく、柔らかく目を細めるだけだった。おそらく、彼女には言いたいことがバレている。
「成長が楽しみで、仕方ない人に出会った、ことはありますか」
 さらに嬉しそうに笑った。――もちろん。力強く、しかし優しくアスナはいうと、コアの肩をたたいた。
「私はこの地方で戦うすべてのトレーナーの成長が楽しみだわ。――いつか、私を乗り越えて、頂に立つものが現れる日がとても楽しみで仕方がない」

「大丈夫よ、コア。あなたの見込んだトレーナーはきっと、一回りも二回りも成長してあなたのもとへ帰ってくる」
 アスナが柔らかくそう言うとコアからそっと手を離した。
 さて、と無邪気に微笑んだアスナはくるりと踵を返す。
「兄さんの用事も終わりましたね。そろそろ、クラウたちから苦情が来るから、遊園地の方に戻るね」
「そうだね」
「え、クラウ様とアリス様もご一緒なんですか?」
 コアは顔をしかめた。ノナタウンのジムリーダーであり、国立の図書館長と博物館長である二人がこんなところで遊んでいていいのだろうか。いや、自分も遊び呆けている方だという自覚があるので、言える立場ではないのだが。だが、コアとは立場が違うのではないだろうか、あの二人は。祭事を司る巫女でもあるわけであるし――……と考えたところで、ああ、そういえば、この人が行った改革はそれら全てをひっくるめて、一人の人間であることへの自由を求めたものだったと思い出した。
 じゃあね、と笑うアスナに丁寧に礼を返した。
 ハルは薄く口元に笑みを浮かべる。
「祈りの込められた装飾品は必ずその祈りを実行する」
「え?」
「……ラーディ様のご加護がその子にあるさ」
 神官らしい柔らかな笑みと言葉でコアを励ますと、ハルもさっさと踵を返してアスナを追いかけていった。
 嵐のような人たちがいなくなると、コアはまたジムが静かになったような気がした。散々アスナにかまってもらって満足したのかレントラーとサンダースはコアの足元でおとなしく座っている。なんだか、心のなかでつっかえていたものがストンと落ちていったような気分になった。
 カッコいいことを言って、送り出したものの彼女の不安に寄り添ってあげられなかったのではないかと、少しだけ不安を感じていた。突き放すように現実を突きつける必要があると感じながらも、それが彼女にとって辛いことだったのではないかと思うと焦ってしまっていたのかもしれない。なんだか、心の整理がつくと少しだけお腹が空いてきた気がした。
「……キッシュでも作ろうかな」
 コアが小さくつぶやくと、レントラーとサンダースがキラキラと期待を込めた目でコアを見る。現金な奴らだ、と思いつつもああ、トレーナーに似てるんだなと自分を思い返して納得がいく。仕方ないなぁ、とジムに響くくらい大きな声で言って走り出す。レントラーとサンダースが追って走ってくると、圧倒的に二匹のほうが早くてあっという間に追い抜かれてしまった。
「待てって! 俺が行かないと作れないんだからな!!」
 彼女が帰ってきて、彼女の話を聞くときにでもコーヒーを淹れて軽食を作ってもいいかもしれない。
 今から、彼女がどんな顔になって帰ってくるのか楽しみだ。

 コアはレントラーに飛び乗ると、緩やかに笑みを浮かべた。


 紅葉さんより。コアさん視点での派生作品を頂きました!