燃える淑女の金


 二浪の末に手に入れた、タマムシ大学医学部の合格通知を持って、アンジェは久しぶりに実家に戻ってきていた。両親、それからエデルからの祝福を受ける。
「入試が終わった時点で帰ってきてもよかったのに」
「なかなかそうもいかなくてねー。これも一つのけじめだと思ってよ」
 アンジェは、二浪目からはクチバシティのワンルームマンションに一人とポケモンたちで住んでいた。はじめてメイドも執事もいない生活に苦労もしつつ、たまにヤマブキに出て気分転換をして勉強に励んでいた。
 しばらく姉妹で話したり、お祝いが続いたが、日も沈み部屋に自分と両親のみになった時、アンジェは、少しお話したいことがあります、と改まった態度で言った。
「私は、すぐにここの病院を継がずに、僻地医療をしたいと思っています」
 たちまち場の空気が凍った。
「そんな、アンジェ」
「アンジェリカ」
 戸惑う母を父が制し、アンジェの本名を呼ぶ。
「医者は都市に集まる、だから医学は進歩する。僻地医療を志すお前の気持ちもよく分かる。しかし、僻地ということは他に医者が誰もいないということだ」
 アンジェは黙って話を聞く。
「文化も環境も違う中で、お前一人で全てをしなければならない」
「ええ、だからここ一年、一人暮らしをしてみたわ。クチバの家を見れば、私がメイドも執事もいなくてもやっていけたこと、わかると思うのだけれど」
 家事がひととおりできる、それはドレイデン家の教育のおかげだ。良家の子女であればこのぐらいできなければならない、とアンジェに言ったのは母であった。
「そんな程度のものではない。……お前には無理だ」
 父が断言する。
「無理ね」
「は」
「そんなことを聞き入れるのが無理だと言っているのよ」
 アンジェは声を荒げないよう、場を取り乱さないよう、右手で心臓のあたりを押さえ、平静を保つ。
「パパもママも、まだ現役じゃない。私がいなくたってこの病院は続くわ。それにいずれは継ぐつもりよ。それに、こんなのマンネリでしかないわ。医療とはもともと危険が伴うと教えてくれたのは誰だったかしら?」
 それからアンジェは、部屋の隅を見る。ここに病院を建てた、初代“スタートゥス・ドレイデン”の肖像画が、そこにはある。
「僻地医療で来たスタートゥス・ドレイデンが泣くわよ」
 アンジェはそう言い捨てて、部屋を去る。部屋の外ではメイドが待っていた。
「アンジェさま、お部屋は」
「いい、一人でできるわ。今日は一泊だけして、明日の朝、クチバに戻ります」
 両親にも聞こえるように言って、アンジェは三階にある自分の部屋に戻った。

 朝、エデルが起きた頃には、アンジェはもう発っていた。挨拶くらいしたかった、とエデルが独りごちるのを、両親は横目で見ていた。


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