隣の席の犬系男子


 アンジェは、自身の妹エーデルワイス・ドレイデンに、それほど良い印象を抱いてはいなかった。
 確かに可愛い妹だ。しかし、アンジェからは、末っ子であるのをいいことにやりたい放題だ、と見える側面もある。
 落ち着いたら病院を継ぐと言っているのに、僻地医療はやめろという両親も、自身を心配する思いはあるとわかっていても腹が立って仕方ない。
 どうしようもなく抱く孤独感。それが、彼女をここへ導いたのか。アンジェは、「里山同好会」と書かれた紙がべったり貼られたドアの前に立っていた。ビラの内容が気になったから見学だ。大学で友達を作って楽しみたいなら、サークルに入れば良いと相場は決まっている。
 アンジェは三回ノックし、どうぞ、という声を聞いて入室した。
「お、新入生?」
「わーめでたい! お菓子どうぞー」
 迎え入れたのは、男女一人ずつの部員だった。アンジェは促されるままにホームパイに手をつける。
「うちら二人とも三年でねぇ、二年もいないから廃部の危機だったの!」
「いや、まだ入るとは」
「もちろん、ちゃんと考えてね、ポピーも」
 その言葉で、アンジェは部室の奥の、もう一人の存在に気が付いた。
「僕はここにしようかと。いろんな部室を回りましたが、ここの見晴らしが一番良いです」
「見晴らし、ねぇ」
 気になってアンジェも窓際に向かう。ここは部室棟の五階であるから、上ってくるのはきつくとも見晴らしは良い。ただ、ここは大都会タマムシの大学であるから、残念ながら「里山」と呼ばれるような風景はない。
「どんな理由でもいてくれたらすごく助かるんだよ」
「では決意が固まったら入部させていただきます。君はどうするの」
「えっ」
 ポピーと呼ばれた、同じ新入生に突然訊かれ、アンジェは固まった。赤毛を短く切ったその見た目こそ普通だが、見晴らしの良さでサークルを決めるあたり、どこか怪しいやつだと思ってしまう。
「……まだいろいろ回るわよ」
 アンジェは言ったが、別段他のサークルが気になるわけでもなかった。ただ、ここに入ると新入生はポピーと二人だけになってしまう可能性もある。
「そう。……君の決断、僕も楽しみだよ」
「はぁ」
「ねえねえ二人とも! よかったらテーブルで話そうよ。出身地とか……」
 女性の先輩に呼ばれ、二人はテーブルに戻った。

 医学部の時間割なんてほとんどが必修科目で、一般教養で好きに選べる枠などほとんどない。アンジェは、そのわずかな枠で心理学を選択した。
 文系の学生にも人気がある講義のようで、それに合わせて場所は大講堂だった。適当に、真ん中より少し前少し左の席を選んで座る。友達ととっている学生が多く、あたりは騒がしかった。
 隣に人影がちらついた。その学生はアンジェのすぐ隣を選んで座る。まだ空きの席は多いのに、と気になって顔をちらりと見ると、その人物はどこかで見たような顔をしていた。
「やぁ、アンジェもとってたんだね」
「ポピー……」
 一体全体どのようにしてこの大勢の中から知り合いを見つけ出すのか。コツでもあるなら訊きたいぐらいだ、とアンジェは思った。
「アンジェ、あのサークル入るの」
「まだ決めてない。だからあなたとも仲良くする気ないわ。ましてやバトルして互いを知ったトレーナー同士でもないのに、アンジェ呼びなんて。私はアンジェリカですけど」
 アンジェリカは、トレーナー相手にこそ、フルネームのアンジェリカ・ドレイデンではなく、3の島のアンジェと名乗っていた。バトルをするときは家柄など関係がないからだ。しかしここは大学。人生の夏休みと呼ばれる場とはいえ、二浪の末医学部に入ったアンジェはこの場にそれなりのフォーマルさを求めていた。
 アンジェの言葉を聞いたポピーは、一瞬黙り、それからぷっと吹き出した。
「何がおかしいのよ」
「ポピーだって、あだ名なんだよ」
 言って、ポピーは学生証を出す。そこに書かれている名前は、「アキラ・シャーレイ」だった。
「なんで一切かすってないあだ名つけられてんの」
「わんこ系、だって! 昔から言われるんだよ」
 わんこ系と言われても、今のアンジェには気持ち悪さしか与えなかったが、アンジェはひとまずあだ名の由来を無視し、学生証のとある項目に注目した。
「携帯獣医学部……」
「そうそう。似てはないけど遠くもない学問だね」
 言って、ポピー……もとい、アキラ・シャーレイは笑った。ふさふさの短髪につぶらな瞳と、確かに見た目は犬系か、とアンジェは思い直す。
「だから講義なんて全然かぶらないけど、まさか般教でかぶるなんて! ラッキーだったよ、アンジェ」
「……私はあだ名でなんか呼ばないわ、シャーレイ」
 言ってやると、アキラ・シャーレイは、わざとらしく落ち込んだ。講師が入室し、静かに、と言うのを聞きながら、誰か受講している友達を早く見つけないと、とアンジェは思った。


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