絆の方程式


「あれ、ひょっとしてヒョウ?」
 ジョインアベニューなるものが開き、より人が集まるようになったライモンシティの中で、メグは数年前に知り合った友人の影を見つけた。
「えっ……ああ、マーガリン……じゃなくてメグか」
「マイカの呼び方うつってんじゃん」
「いつもマーガリンマーガリン言ってるからな……」
 メグはかかかっと笑う。そして、しばらく見ない間に随分背が伸びた彼を見上げる。
「今日はフォーマルな服装だね。なんかお仕事? パーティ?」
「ああ、実はボク、ポケモンソムリエになって。まだCランクだけど」
「えっ、ソムリエって、あの? すごいじゃん!」
「だーからまだCランクで……」
「ヒョウならすぐにランクアップできるって! じゃあ、経験を積むためにも、あたしとごっさんも見てほしいなーなんて」
 メグは足下のゴチミルを抱き上げる。ゴチミルもヒョウのことは覚えていたらしく、にいと笑った。
「……いいよ。時間あるからね」

 朝の、人もまばらなファミレスに場所を移し、窓際の席に腰掛けた。ドリンクを注文した後、メグはゴチミルをテーブルの上に座らせる。
「……それじゃ、キミとポケモンの絆の方程式、解かせてもらうよ」
 その言葉に、メグは思わず吹き出す。
「えっどうしたのキザい……キザいよヒョウくん……」
「なんだっていいだろ……」
「んじゃお願いしまーす!」
 背筋を伸ばし、にこにこしながらヒョウを見るメグとは裏腹に、ヒョウは真剣なまなざしでメグとゴチミルを見つめた。
「……どう?」
「さすがだよ、ごっさんは生き生きした目をしてるし、メグのことを信じてる。……ただ」
「ただ?」
「なんか、ほんのちょっと心にしこりがあるような」
「しこり……?」
 メグはゴチミルと顔を見合わせる。そして首を傾げた。
「ごっさん、そうなの?」
「ゴチュ……?」
「まあ、僕Cランクだから間違ってるかもしれないけど」
「ううん、詳しく教えて、それ! あたし、ごっさんのしこりをなくしてあげたい」
 メグの一生懸命さを見て、ヒョウはもう一度ゴチミルを見つめる。
「うーん……だけど、原因とかそういうところまでは、僕にはわからないな……」
「……そっか。ありがとう」
「僕は明後日までライモンにいるから、また、なにかあったら訊いて」

 ○

 ちゃんと向き合おう、と言った。ゴチミルはそれに、しっかり頷いた。

 次の日、メグはゴチミルを朝から連れ歩いた。
 少しでも表情に陰りがないか伺いつつ、ビッグスタジアムにサッカーの練習を見に行く。
 いつものようにスタジアムに入ると、いつものワープパネルに数人の警備員が立っていた。
「え、練習試合はまだですよね?」
 メグが訊くと、警官のうち一人が答えた。
「ああ、そうなんだが……」
「じゃあなんで?」
「……実は、その」
「おい、言うなよ。ファンの子に心配をかけてはいけない」
「……そういうことだ」
「……」
 メグは黙って、客席に向かう。
「しまった、あそこはまだ警備が……!」
「あたしが自分で確かめます!」
 メグは真っ直ぐ走り、まだ少数しかいなかった警備員に突進する勢いで客席に入り、そこでグラウンドのありさまを目の当たりにした。
 黒い装束をまとった集団に、選手やファンたちが攻撃されていたのだ。
「なっ、んで」
「おいお嬢ちゃん、その先はあぶな……」
「ごっさん、“未来予知”!」
 ゴチミルに指示した後、メグは客席を駆け下り、跳んでスタジアムに着地した。
 ゴチミルも後に続き、二人が黒い集団に認知された時には、?未来予知?は彼らのポケモンの何匹かに決まっていた。
「あんたたち、誰かと思ったらプラズマ団……!」
「へぇ、驚いたわね。未来予知をこんな短時間で、それも複数のポケモンに正確に当てるなんて」
 下っ端の一人が言う。
「随分育てられたゴチミル……ゴチミルだこと」
 下っ端の女性はゴチミルに歩み寄る。ゴチミルは硬い表情を崩さなかった。
「なによ」
「技も鍛えられ、レベルも上がってる。……あなた、ゴチルゼルには進化しないの?」
 ゴチミルははっとした。それを見た女性は、ふっと口角を上げた。
「……哀れね。こんな人間に使われているからだわ。力を発揮することができない」
「ちょっと、あたしにだって考えはある! すばしっこさや体勢の変えやすさはゴチミルの方が上でしょ!」
「へえ。それをあなたが言うの?」
「……ごっさん、“サイコ……”」
「させないわハーデリア、“噛み付く”!」
「バウッ!」
 効果抜群の技をもろに受けてしまい、ゴチミルはその場にうなだれた。
「ごっさん! そんな……」
 いつもなら確実に避けることができる技だった。メグは苦しそうなゴチミルを抱き上げる。
「おーい! 応援が来たぞー」
 ワープパネルから聞こえるその声に、その場にいた選手やファンたちが安堵の表情を浮かべた。
 要請により、ジムリーダーをはじめとする優秀なトレーナーたちがその場に集まったのだ。下っ端のみで行動していたプラズマ団は、彼らの強さに敗北し、ちりぢりになって逃げた。

 らしくもなく、下を向いて歩くメグに声をかけたのはヒョウだった。
 メグ、どうしたの、という声に、メグは顔を上げる。瞳には涙が溜まっていた。
「えっ……? 一体なにが……話してくれる?」
「うん、話す。実は――」

「ええっ、プラズマ団が!?」
「うん。ごっさん動揺してた。あたしも気持ちを見透かされたみたいだった……」
 メグは下っ端の女性の言葉を思い出す。メグはもともと、効率的にチケット代を集めるためにバトルを始めた。バトルなど、いわばサッカー応援の二の次だったのだ。
 強さを目指すわけでもない、似たような動機でバトルを始めたトレーナーなど他にもいる。だが、ゴチミルは前から、進化してスタイルがよくなりたいと思っていることも知っていたのだ。
「……メグ、これだけは言える。今のプラズマ団は、人からポケモンを無理矢理奪う悪党だ。彼らの言葉に左右されちゃだめだ!」
「でもっ……」
 また溢れ出した涙を手でぬぐう。それを、ゴチミルは心配そうに見上げていた。

 ○

 浅い眠りから覚めた。
 メグは隣を見る。ゴチミルは、まだ寝息を立てていた。
 あの時に応援が来なければ、今頃は隣にいなかったかもしれない相棒だ。
「……ごめん」
 誰にも聞こえぬ声で、ゴチミルをそっと撫でる。空は徐々に明るみを増していた。

 今日は、ヒョウがライモンにいる最後の日だ、とメグはゆるく認識していた。
 ゴチミルはいつもどおりだった。ご機嫌な表情で、メグのぴったり隣を歩く。メグには、それが逆に落ち着かなかった。
「あ、あの、ごっさん」
 メグは思い切って話しかけてみる。ゴチミルがメグを見上げた時、
「あら、いた」
 と、目の前から声が聞こえた。
 その声は、ちょうど昨日から焼きついて離れない、あの言葉を発した主であるとすぐにわかり、メグの全身に寒気が走った。
「なんですか」
「ふふ、私ねー、そのゴチミル気に入っちゃった。私が育てたほうが強くなるんだから、ね、ちょーだい」
「は? ごっさんはずっとあたしといたんだ! あげるわけないでしょ」
「わかってるわよ、そう返すってことぐらい。だから力ずくで奪ってあげるわ! ……ハーデリア、ミルホッグ!」
「へっ!?」
 メグに、技の指示や他のポケモンを出す隙を与えぬまま、ハーデリア、ミルホッグの二匹はゴチミルに走った。
「待て!」
 二匹とゴチミルの間を、なにか球のようなものが素早くさえぎる。
 それが来た方向を振り返ると、そこには、一人のトレーナーとランクルスがいた。
「ゆにの素早さじゃ、間に入ることは無理だからね……ただし、?きあいだま?でさえぎることならできる」
「ヒョウ……!」
「手持ちにハーデリア……こいつ、昨日言ってた」
「うん」
「……ヒョウって、あんたひょっとして」
「僕も加勢する。……いいかい、ゆに」
「ポワワ!」
 その様子を見ていたメグが慌てふためく。
「待って! これはあたしとごっさんの問題なんだから、あたし一人で戦うよ」
「でも二対一は卑怯だ」
 ヒョウは、ハーデリアとミルホッグを見下ろして言う。
「……それじゃ、ヒョウとゆにはミルホッグに攻撃して。ハーデリアはあたしとごっさんの力で倒す!」
「……わかった」
 メグ、ヒョウともに、いつになく真剣な表情を見せる。だがこんなことでは、下っ端の女性も動揺はしなかった。
「ごっさん、“影分身”!」
 ゴチミルは、かなりの速度で分身を増やす。
「さすが、速いわね。ハーデリア、嗅ぎ分けて本体を見つけるのよ!」
「バウッ」
 ハーデリアは、その嗅覚でゴチミルの正確な居場所を探し出す。
「そこね、“噛み砕く”!」
 ハーデリアは確信を持ってゴチミルに噛み付く。
「そんなっ……」
「技も磨きよう。あなたと同じ発想よ」
「……」
「ゆに、僕たちはミルホッグにいくよ。“電磁波”」
「はじめっからあなたを相手にする気はないわ。“みきり”!」
 ミルホッグは、電磁波の流れを見切り、華麗に避けた。
「ランクルスじゃあどうしても素早さで勝てないものねぇ。かといって?トリックルーム?を出しちゃえば、お隣さんの持ち前の素早さが犠牲になっちゃう」
「くっ」
「あんたたちがどうルールをつけようが、私の狙いはゴチミル一匹。そうね、まずランクルスを片付けるのもいいかもしれないわ。二匹ともランクルスに、?噛み砕く?!」
 その言葉に、メグは青ざめた。
 エスパータイプに効果抜群の“噛み砕く”を素早く二度も受けると、ランクルスは浮かんでいられるかもわからない。
「……ごっさん」
 攻撃が決まるまでのわずかな間で、メグは意志を決めた。
 サイコキネシス、未来予知、影分身。これが普段使う技だ。
 だが、いつかその時が来ればこれを使うと、ゴチミルの意志も尊重して覚えさせておいた技があったのだ。
「っ……?投げつける?!」
「ゴー、チュー!」
 今にも噛み付こうと大きく口を開けたハーデリアに、ゴチミルの投げたものが思いっきり当たる。威力はそれほど大きくない。
「あら、なにかしら? こだわりスカーフでも火炎玉でもないみたいだけど」
 余裕そうな表情で、下っ端の女性はそれを拾う。
「……これは」
「?かわらずの石?」
 女性が続ける前にメグが答える。
「……! ってことは、ごっさんは」
「うん。ごっさん……もう、進化していいよ」
 メグは力強い声で言い放つ。
 今まで溜めていたパワーがあふれ、ゴチミルが光りだす。背丈はメグより少し低い程度に伸び、またサイコパワーも増した。
「ゴチルゼルに!」
「ヒョウ、なにされようが、あたしたちはあくまでハーデリアを相手にする」
「……わかった。ゆに、大丈夫かい?」
「ポワーン」
 二匹同時攻撃は免れたものの、ランクルスはミルホッグからの攻撃は受けていたのだ。だが、ランクルスは飄々として、ヒョウにゆるい笑みを返す。
「それじゃ」
「うん」
 サイコキネシス、と異口同音に言えば、ゴチルゼルとランクルスが念力を集める。最高威力で出すその技は、相手ポケモン二匹に正面から決まった。
 ハーデリアもミルホッグも、その場に倒れる。
「もういいだろ、何人何匹でかかってきても倒すさ」
「……! もう、行くわよ!」
 下っ端の女性は倒れた二匹をボールに入れ、西へ逃げていった。

「ごっさん」
 ゴチルゼルの背後からメグが話しかける。その声に、ゴチルゼルは恐る恐る振り向いた。
 メグは一変、硬い表情をやわらげ、いつものように笑う。
「きれいになったね!」
 そう言うと、ゴチルゼルはメグに抱きつく。メグはゴチルゼルをしっかり支えた。
「……これでよかった?」
 一人と一匹を見ていたヒョウが言う。
「……うん。これでおちょくり戦略も使えないけど、また新しい戦法考える。ごっさんと一緒に!」
「そうか。キミたち、本当にいいコンビだよ。ゴチルゼルもしこりがなくなったみたいだしね!」
「ヒョウ、三日間ありがとう。ヒョウならきっとAランク……ううん、Sランクだってすぐだよ!」
「はは、ありがとう」

 ヒョウと別れ、メグは大きくなった相棒を見る。
「ごっさん、これからもよろしくっ!」
 そう言って、一人と一匹は、にごり一つなく笑いあった。


涼さん宅ヒョウくんお借り! 紳士イケメンもふもふ。

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