ポケモンバトルの歴史というものは意外と浅い。
 戦争で使われたり、互いを認めるための野良バトルをしたりというものは太古の昔から存在したことが確認されているが、ルールやマニュアルに沿った「試合」という概念が確立したのはほんの数年前だし、ルールブックは数年おきに書き換えられている。
 例えば、最近のものだと「性格」。ポケモンの気質によって能力の伸びに差があることがわかったのだ。例えば、臆病なポケモンは、すばしっこく育つが攻撃は苦手。意地っ張りなポケモンは、物理攻撃ばかり鍛えて特殊攻撃というものを好まない。こんな具合にだ。
 それに、「技」以外に「特性」というものが加わった。技以外に、試合の運びを変える重要な要素として注目されている。「技」にせよ「特性」にせよ、研究が進めば新しいものが発見されるかもしれない。

 そんなわけで、カントーやホウエンを始めとする世界のポケモンリーグ本部では、ジムリーダーや四天王のバトルスタイルの新ルールへの移行が急がれていた。

 出逢いは勘違いから

 ここまでポケモン世界全体のバトルについて話をしてきたわけだが、ここからは視界をぐっと狭める。
 場所はホウエン地方コトキタウン。特にこれといったスポットもない、平凡な田舎町だ。
「うるっさーい!」
 そんな場所に、朝から怒声が響く。彼女の言葉がどうあれ、一番うるさいのは彼女自身である。
「さっき百二番道路で、怪我してるポケモン見たの! ポケモン助けるためなら、道路入ったっていいでしょ!」
「じゃあ、どっちにしろ勝手に道路入ったってことね!」
「ちがーうっ! こっから見たの、あの草むらはこの町からも見えるでしょーが!」
 彼女と言い合っているのは、どうやら母親らしい。母親は周囲の視線に気づいて、ひとつため息をもらした。
「あのねぇ、ヒヨ」
 諭すように言う。ヒヨと呼ばれた少女は、ん、と黙った。
「ポケモンを持ってないと、道路には入れないの。それに、ポケモンが怪我するのも自然の摂理というもので、それでも彼らはたくましく生きていくのよ」
「それおかしい、じゃあ私いつポケモン持てるようになるの? お母さんだって持ってないし、町の人だって持ってない人多いじゃない。とにかく私は行く! 行くったら行くの!」
 言って、ヒヨは駆け出す。住民は足の速いヒヨを止められず、ざわついた。この町には、それほど強いトレーナーはいないし、いたとしても旅に出てしまっている。ヒヨはひたすら西へと走った。
「えーと、このへん……」
 百二番道路で、器用に草むらには入らず、ヒヨはそのポケモンを探す。
「いたっ!」
 そのポケモンは、ヒヨが見た時のように、ふらふら歩いている。しかし、怪我はどこにも見当たらない。
「あ、あれ」
「ジグザグマ、ってポケモンだ」
 その声に、ヒヨは振り向いた。そこには、ヒヨより少し年上の男女トレーナーが立っていた。声を発したのは少年のほうだ。
「名前の通り、ジグザグに進むのが特徴。コトキタウンでの話聞かせてもらったけど、確かに知らなければ怪我に思えるかもしれない」
「じゃあ、このジグザグマは……」
 ヒヨが言うと、少女がしゃがんでジグザグマを見る。
「うん。ダイジョーブ」
少し不思議な雰囲気を持った少女の前で、ジグザグマは怯えることも襲い掛かることもしない。
「なんだ……」
 ヒヨは思わず、がっくりと頭を垂れる。啖呵を切って飛び出してきたのに、母にも町の人にも合わす顔がない。
「ゲット」
 少女がそれだけ言った。ヒヨは少女を見る。少女は黄土色の髪を揺らして、その先の言葉を紡ぐことはない。
「ボールならあるぞ」
 しかし、少年には少女の言わんとしていることがわかるらしく、ボールをヒヨに渡した。
「ポケモンを弱らせてゲットというが……このへんの道路のポケモンなら、大抵ボール一度投げで捕まる」
「そうなの?」
「ああ。基礎を覚えるのははじめのうちがいいから、大人はみんな、まず弱らせてからーとか言うけど」
 ヒヨはボールとジグザグマを見比べる。ジグザグマはやはりジグザグに走っている。
「狙い定めるのって苦手なんだけど……ん?」
 ジグザグマは木に向かって走る。木の前に着いた時、右か左か、どちらかに大きく避けるだろうと予想して、ヒヨはジグザグマを見る。右、左、右と、リズムを刻んで……
「今! いっけー!」
 ジグザグマが避けたのは木の左だった。その後姿をヒヨのボールが追う。ボールはジグザグマを吸い込み、とくに揺れることもなく、ことん、と木の下に落ちた。
「ほ、ほんとに捕まっちゃった……」
 やったね、と少女が言う。ヒヨはボールを拾い、少年に向かう。
「あの、ボール代は」
「俺は研究家志望だし、もっと性能のいいものを持ってるからいいよ」
 微妙に答えになっていない、自慢ともとれることを少年は言ったが、ヒヨもわざわざ逆上はしない。視線をおろし、ボールにつぶやく。
「ポケモンは持てないって言われ続けてたここ数年のメモリーは……」
「まあ、いいジャナイ」
 少女はそう言って、開閉スイッチを押す。突然捕まえられたことに戸惑いを覚えていたが、ジグザグマはヒヨを見ると、にこっと笑った。
「間違いだったわけだけど、怪我だって心配してたもんな」
 そんなトレーナーを、ポケモンは嫌いにならない。ヒヨがしゃがんで、ジグザグマの大きくて丸い瞳を見つめた時、先を急ぐから、と声が降ってきた。ヒヨは急いでジグザグマを抱き上げ、二人に向かって言う。
「あの、ありがとう!」
 少年は振り返らずに手を振り、少女は振り返ってにこにこ笑った。

 町に帰ってくると、当然ながら母には叱られた。しかし、母はヒヨがジグザグマを持つことを許した。
「でね、私、ホウエン地方をまわりたい! ポケモンがいれば道路にも入れるでしょ?」
「そうねぇ。せっかちで知りたがりなヒヨには、この町じゃちょっと物足りないかも……」
「え、それじゃ」
 ヒヨの輝く目を見て、母は苦笑した。
「礼儀正しくふるまうこと。いきなり喧嘩を売らないこと。……守れる?」
「守れる!」
「どうもそうは思えないけど」
「……はい、努力します」
「それなら……行ってくるといいわ。ただし、準備はしっかりね。ホウエンは過酷な地形の場所がたくさんあるんだから」
「わかった!」
 やったー、とヒヨは階段を駆け上がる。ジグザグマも続く。やんちゃな子供がもう一人増えたようで、母はひとつ、ため息をついた。


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