光の目をした闇を抜けて


 俺リンドは、ホームタウンの名前が自分の名前と似ていて、それで昔からちょっといじられたり羨ましがられたりしてた。
 リンドウシティのリンド。別に、自分は嫌ではなかった。でも、ホームタウンのことは、好きではなかった。
 まさか自分がジムリーダーになるとは思わなかった。よく考えると、俺がジムリーダーになった理由も、もともとはホームタウンが嫌いだったから、というところに通じる。
 だから、今日は少し昔のことを思い出してみようと思う。

 リンドウシティは眠らない。それはそこに住む俺も同じだった。
 俺は繁華街のネオンの中をいつものように歩いていた。目指す場所はリンドウ空港。俺はビルの向こうの空には憧れを感じていたし、自由に空を飛べるポケモンと飛行機は大都会に住む俺の夢だった。
 飛行機の離陸を見るのは夜が一番だ。全てが揃っているようで何もないこの町から離れる時。嫌なことがあったら、それを見ていれば忘れられる。
 それなのに、その日は離陸する飛行機を見た直後に、嫌なことがあったのだ。
「いてっ。何だよ……」
 離陸を見て満足していたのに、空を眺める俺の顔に何かが落ちてきたのだ。
「なんだ、ポケモンか」
 俺はそのフワフワしたポケモンを右手で掴んだ。それは額を強打したチルットだった。
「えっ、どうした? ケガしたのか?」
「ピィ……」
 俺はポケモン用の傷薬は持っていなかったが、絆創膏は持っていたから、それをチルットに貼ってやった。
「しばらく俺といて」
 俺はポケモンを診てくれる小さな病院までの道を急いだ。ポケモンセンターでもよかったのだが、原因をちゃんと知りたい時は病院に行くことにしていたのだ。

「これは……ビルにぶつかったようだね」
「ビルに? どうしてですか?」
「光を目指して飛んでいたんだろう。そしてぶつかって、君のもとに落ちてきた。光公害というやつだ。最近リンドウでも増えているらしい」
「じゃあ、このチルットの傷が治ったところで、また被害に合うポケモンがいる、と」
「残念だけど、そういうことになる」
「どうにかなりませんか?」
「我々が電気を消せ、と言ったところで、リンドウシティの発展が妨げられる、と言われるのがオチだろう」
 リンドウシティは、昔から開発第一なところがあった。主張したところで聞き入れてはもらえないと、俺も何となくわかっていた。
 でも、チルットを見て、さらに他のポケモンたちも光公害の影響下にあることを知ると、俺はもういてもたってもいられなくなった。
「なぁ、チルット。お前も仲間が傷つくのは嫌だろう?」
「ピィピィ!」
「一時的でいい、俺の仲間になってくれないか? そして、君の仲間を一緒に助けよう」
 俺は、意味もなく持っていたモンスターボールを、その空色をしたポケモンに見せた。チルットは少しの間それを見つめて、頷いた。

「それで、君もジムリーダーを志望すると」
「はい」
 俺は、リンドウジムリーダー志望者の説明会に出席した。志望者は、俺以外に二人いた。
 俺が考えた、リンドウから光公害からなくす方法。それは、ジムリーダーになって自分の地位を向上させ、夜には高層ビルを消灯するという条例を作ることだった。議員になんてなれるわけがないし、もともと俺はエアームドを持っていて、友達の誰にも負けたことがなかったから、ジムリーダーなら努力でなれるかもしれない、と思ったからだ。
「君じゃ無理だ。ここリンドウは、ジムリーダーになれるのは二十五歳以上だけだ」
「そんな。せめて志望だけでも」
「無理だとわかっていてそれを言うか」
「無理じゃない!」
「熱くなるな」
 別に熱くなっているつもりはない。だが、つい声を荒げてしまったようだ。
「君は若い。今ジムリーダーになれずとも、まだチャンスはあるだろう」
「次チャンスが回ってくるのはいつになるか……」
「さぁ、いつでしょう」
 その人は、俺をジムリーダー候補に入れる気はさらさらなかった。ジムリーダー志望者として名乗りをあげているのはその時点で二人。二人とも、二十五歳を越えていた。
 最後に、その二人にはリンドウシティジム担当の人から名詞が渡されたが、俺には渡されなかった。

「くそっ、どうすれば」
 こうしている間にもまた太陽は沈んで、多くの鳥ポケモンが犠牲になってしまう。
「ピィ、ピィ!」
「カァー!」
「チルット、オオスバメ」
 そうだ。俺のポケモンたちで、鳥ポケモンを助ければいい。エアームドは強い風を起こせるし、チルットは、今は無理でも、チルタリスに進化すれば、翼がクッション代わりになってポケモンたちも強打を逃れることができるだろう。
「やるか!」
 俺たちは、夕焼けに燃える港で、団結した。

 ○

 リンドウ空港の隣、一本、また一本、と飛行機が離陸する中、俺とエアームドとチルットは鳥ポケモンを助けるためビル街に立った。この前チルットが被害にあった、ひときわ目立つビルの真下だ。
 暗い場所でもよく見えるよう、俺はエアームドに“こうかくレンズ”を渡した。チルットは今日は見学だ。
 ビルに向かって飛んでくる鳥ポケモンを見つけると、エアームドは時速三百キロで空を切り裂く。バトルでもこんなスピードで飛ぶところを見たことがなかった。まるで野生に戻ったかのようだ。
「“吹き飛ばし”!」
 エアームドはふっと力を弱め、スバメたちを風で吹き飛ばした。
 “吹き飛ばし”はポケモンを場から退けるための技であり、ダメージを与えないのだ。
「いいぞ、エアームド! チルットもしっかり見ておくんだよ」
「ピィ!」
 チルットは表情をきりっとさせた。

 ようやくビルが消灯した頃には、俺もエアームドもへとへとだった。
 これでは埒があかない。やはりポケモンたちを助けるには条例を作るしかないのか。
「お疲れ様、エアームド……」
「カァ……」
「この先に行くとぶつかる、ってことを覚えてくれたらいいんだけどなぁ。でも子供なんてどんどん生まれるし」
 帰ろう、と思った時、俺が連れているチルットとは別のチルットを見つけた。どうやら、一番高いビルが消灯する前にここに向かってきてしまったために迷っているようで、どこか不安げだ。
「ピィー! ピピィー?」
 チルットが俺の腕から出て、そのチルットに話しかける。そして相手が返事をすると、北西を指した。
「ピロッ!」
「ピピィー!」
 あっちだよ、ありがとう、といったところだろうか。
 そのチルットが見えなくなるまで、俺が連れているチルットは北西を向いていた。
「……チルット」
 俺が話しかけると、チルットは振り返る。
「ごめんな、仲間たちを助けるには、まだまだ時間がかかるみたいだ」

 ほんの数ヶ月前、サクハ地方は統一を達成した。
 混沌が明けると誰もが思っていた――わけではないだろう。予想できた事態ではある。
 まだ新ジムリーダーはほとんど決まっていない。それはここリンドウでも同じだ。
 それに、統一反対勢力は根強い。水面下での活動を続け、数年後に顔を出すのでは、と危惧する者もいる。
 混沌ののちの混沌、ここまで来ると人も疲れてくる。いろんなものが見えなくなってしまっている。
 それでも俺は、まっすぐ前を見据えていたい。嫌いなホームタウンを好きになりたい。

「遅いぞ、チルット!」
 俺がそう言うと、チルットの目は鋭く輝く。なんとか羽根を動かし、エアームドにつっついた。
「だいぶスピードも上がったな」
「ピィ」
 エアームドはもちろん手加減しているが、それでも日を追うごとに速く逃げるようになっている。
「リンド? リンドじゃん。お前何やってんの?」
 背後から声が聞こえた。たまにバトルする友達二人がそこにいた。喧嘩っ早いリュウタと、冷静なハヤミチだ。まず話しかけてきたのはリュウタだった。
「お前の強さはエアームドで充分わかってんだよ。なのに二匹目……もう頼まれてもバトルしねーぞ?」
「まだまだ……強くならなきゃいけないんだ」
 そして俺はまたチルットのほうを向く。ハヤミチが、トレーニングを再開しようとする俺を止めた。
「それ以上強く? ジムリーダーにでもなりたいの?」
「……実は、そうなんだ」
 遠くで飛行機が離陸する音がして、俺の声は少しかき消された。
「えっ当たり? じゃあ最低二匹は育てる必要あるか」
 ハヤミチは納得するが、リュウタはやや不安げな表情になる。
「……なれそう?」
「や、全然。年齢制限もあるし」
「だよなー。ったく、リーグのやつってなんであんなに頭固いんだろうな!」
「それでもなりたいから強くなるしかない」
 俺ははっきりとそう言った。
「かっこつけー」
「うっさいな」
「そんなら、とことんバトルには付き合ってやるぜ!」
「僕も! ただし、一度でも僕らが勝てたら、ジムリーダーになった時バッジちょうだいね」
 二人が一歩近づいて、言った。俺は嬉しさで胸がいっぱいになる。
「二人とも……ありがとう。頼もうと思ってたんだけど、言いにくかったんだ」
「なんで?」
「俺が勝つから」
「なあ、一回人間同士でバトルしね?」

 ○

 それから数日間、俺がトレーニングをしている丘の上に、二人ともが来てくれた。
 今日もお疲れ、と言っていつものように二人が丘を下りていく時、ハヤミチがふと振り返った。
「リンドも家ってこっち方面だよね。なんでいつも一緒に帰らないの?」
「あ、あー、それは」
「俺も気になってた! なんか隠してんじゃねーのか?」
「結構リアルなことだけど。いい?」
「リアル……?」

 日が沈んだリンドウシティは、またしても地上の光に包まれる。
 俺とエアームドは、“吹き飛ばし”による鳥ポケモンの怪我の予防を続けていた。
 さすがに夜中までやることはできないから、せめて九時になるまでは、と。これはエアームドの希望でもあった。
 エアームドが飛んでいてくれる間、俺は二人に説明した。
「光公害っていうんだって。鳥が光へ向かって飛んで、ビルにぶつかってしまう、っていう……」
「ひでぇなそれ」
「ずっと一人でしてたのかい?」
「うん、俺とエアームドで。チルットもいずれ、と思ってトレーニング中」
「ジムリーダーを目指す傍らでこんなことを……いい、俺感動した!」
 リュウタは目を輝かせ、俺の両腕を掴む。
「あー、俺もハヤミチも鳥ポケモン持ってねぇからなぁ」
「全く気がつかなかったよ……って、あれ」
 ハヤミチは目の端をちらつくものに気付き、そこを指してみせた。
「チルットの……大群? エアームド!」
 よくポケモンがぶつかってしまうビルの手前のビルにその大群はいた。あのビルは光が弱く、俺もエアームドも全く気にしてはいなかったのだ。
 エアームドは向かおうとするが、ビルを直角に曲がらなければならないため、スピードが出せない。その時だった。
 さっきまで隣にいたチルットがその付近を飛んでいたのだ。
「チルット、君は……!」
「うおー、頑張れ!」
「でもチルット一匹じゃ、どう考えても……」
 その時、地上の光とはまた別の光を見た。エアームドしか育てたことのなかった俺にとって、はじめて見る輝きだ。なんてタイミングなのだろう。
「チューン!」
 チルット――否、進化したチルタリス――は、羽根をめいっぱい広げ、チルットたちを包み込んだ。

  「やったー!」
 リュウタが、まるで自分のことのように喜んだ。
 ビルのオフィスで働いていた人々が、何事か、と外を見る。チルットをたくさん抱えたチルタリスを見て、彼らはどう思ったのだろうか。
「おーい! リンドのエアームドとチルタリスが、ビルからポケモンを守ってくれてんだぞー!」
「ちょっと、リュウタ」
「確かに気付きにくいことではあります。ですがポケモンは傷つく。僕はこの状況を直ちに改善すべきだと思いますが!」
「ハヤミチまで……」
 二人の叫びに周りの人々が目をぱちくりさせている間に、チルタリスはゆっくり降下した。そして、またあの時のように北西を指す。小さな命たちは、また自分たちの家に戻っていった。
「チルタリス」
「チューン」
 よくやった、と笑顔で囁き、俺とチルタリスは抱き合った。

 翌日、俺とチルタリスの記事がリンドウ新聞のほんの小さなスペースに載った。
 記事の最後は、「感動させられる救出劇ではあるが、ビルの経営者も対策を考えていかねばならない」と〆られている。
「リンド、やったね。僕はネットでも見たよ」
「え……」
「ほら」
 その記事は、あいつ――ヒウメシティのチャービルが書いたものであった。全く、どこで情報を仕入れてきたのか。

「すっかり有名人になったようだな」
「……そのようですね。僕に自覚はないんですけど」
 前に一度話しに行った、リンドウシティジム担当の者と道端で会った時、まずした会話がそれだった。
 そして去ろうとした時、彼は俺のポケットの中に紙を入れた。
 ……名詞だ。
「じきに、年齢制限を撤廃しようとも考えていてな」
 俺はそれを聞いて立ち止まる。希望の花が途端に咲き乱れる。
「へまをするんじゃないぞ」
「……はいっ!」

 リンドウシティの夜は、前より随分暗いものになった。飛行機の滑走路や灯台のあかりがより輝いて見える。
「君のおかげで、この通りだよ」
「チュン?」
「この通りに並ぶ主要な会社は、勤務時間を少しずらしたんだって。遅くまで働くなんて、人間にもよくないからね。これで、この町の人間もポケモンも、もっと元気になれるよ」
「チュン……」
「だからもう君も」
 本当は言いたくなかった。もともと一時的にだけ手伝ってもらうつもりだったのに、トレーニングとバトルを泣き言ひとつ言わずにこなし、最後に多くの、俺の大好きな鳥ポケモンたちを救ってくれたこのチルタリスに、俺は惚れ込んでいたのだ。
「ンー」
 チルタリスは強い意志を持って、首を横に振る。
「えっ……」
「チュン!」
 そして俺のほうをまっすぐ見据えた。
「ジムリーダーって大変だぞ」
 俺はうれし涙を流し、チルタリスのふわふわな身体を強く抱きしめた。飛行機と鳥ポケモンの町でジムリーダー。これ以上の夢がどこにあるだろうか?

 リンドウシティジムリーダー認定試験
 受験者:リンド、エアームド、チルタリス
 結果:合格

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