私の、新しい世界


 その日は観覧車から出ると、シオンがホドモエの跳ね橋までダイジュを見送って別れた。そして朝、またダイジュは迷いの森にいた。
「ウヒヒ、恋だねぇ」
 気味の悪い笑い声をたて、ダイジュに話しかけてきたのは、ベストを着た中年男性だった。
 ダイジュは肝を冷やした。観覧車からも見えなかったこの場所で、シオン以外の人間を見たのははじめてだったからだ。そしてこの言葉である。
「俺は俺が一番好きだ、恋なんてしねー」
「まったまた。顔に書いてあるよぉ」
 そう言って、男性はダイジュの頬に触れた。ひやっとした空気が流れたが、それがなぜかダイジュはすぐにわかった。認めたくはなかったが。
「熱いね」
 ああ、恋だ。
 そして、失恋だ。
 ずっと自分が一番と思ってきたダイジュにとって、この二つの単語が同時に来られるという辛さはこの上なかった。
「別に君は悪くないさ。こんなものも長い人生、あることさ。むしろこの幼さで失恋の痛みに耐える君は立派だ」
 ダイジュは目を見開き、男性を凝視した。彼は自分の心を見透かしたようなもの言いをする。男性は強めにダイジュの頭に触れ、ダイジュの視線をななめ下に向かせたところで、わしゃわしゃと強めに撫でた。
「いい男になれよ」
 その言葉は不思議なほどダイジュの心を反芻した。数刻の後、ヤブクロンは驚いたようにホウとなく。ダイジュが顔を上げた時には、男性はどこにもいなくなっていた。
「ヤブクロン、やっぞ」
「ホウ?」
「特訓だ」

そして、それもまたその日だった。ヤブクロンのその技に、あの日ベトベトンが放った時のように、草は揺れ、轟音が響いた。
 ダイジュは驚きのあまり反応が遅れたが、すぐにヤブクロンのほうを向き、満面の笑顔で言う。
「お前やるじゃん!」
 ヤブクロンは、しばらく自分の腕を見て呆然としていたが、ダイジュのほうを見ると、照れ笑いした。

ダイジュがシオンを呼べば、彼女はすぐに森へ来た。
「待ってましたよ」
 シオンはいつもの穏やかな物腰だった。ダイジュは思わず息をのみ、その姿に見入りそうになるが、そういう感情をなんとか追いやる。
「べとたろうに負けないくらいのダストシュート、ヤブクロンだって使えるようになったぞ!」
ダイジュは自信満々に言い放つ。だが、シオンはさして動揺せず、抑揚のない声で返した。
「あなたたちならやってくれると思いましたよ。でももしかしたらまぐれってやつかもしれませんね」
そして、まっすぐダイジュを見る。こうでなければ。ダイジュはにやりと笑った。
「だったら、試してみるか?」
「ええ、そのつもりで来ましたから。……いきましょう、ほおずきちゃん!」
「モォシ」
 シオンが出したポケモンはヒトモシであった。白い身体と頭のてっぺんで揺れる炎は、見ているだけで気をとられそうだった。
「ほおずきちゃんも、またイッシュ出身のポケモンです」
「よし。いくぞ、ヤブクロン」
「ホウ」
「早速だけど、いくぞ! ?ダストシュ……?」
「?弾ける炎?」
 ヤブクロンが右でかまえると、そのコースを遮るかのように、ヒトモシの炎が弾けた。
「まぐれでなく本当に完成しているなら、こちらは撃たれないようにするまでです」
 少しでも動けば、ヤブクロンの腕は炎に当たり、ダストシュートのコースが曲がってしまう。
「くそっ、一度さがれ」
「ホウ」
 ヤブクロンは後ずさりする。あまり相手との距離が開いてしまうと、威力も下がる。それも小さなヒトモシ相手となると、ぴったり当てるのも難しい。
「?シャドーボール?」
「モシッ!」
 ヒトモシのその技は、少し右にそれた。
「危ない、右腕が」
「ホウ……!」
 その言葉に、ヤブクロンは右腕をひっこめたが、技が少しかすってしまった。右腕の動きが鈍る。
「確かにこれじゃ撃てねぇな」
「どうしましょうか?」
 ダイジュは掌で顔の汗をはらう。弾ける炎のせいで、意識も朦朧として深く考えられない。
 だが、その中でも、勝機はあった。シオンはまだ気づいていないだろう、ダイジュはいちかばちか、ヤブクロンに指示する。
「飛び込め!」
「?弾ける炎?……これでコースは」
「?ダストシュート?!」
 炎に囲まれた中、ヤブクロンは炎に全く当たらないコースを取る。すなわち、炎がまかれていない左だ。
「おれさまのポケモンは……両利きだっつってんだろ!」
 左腕では撃ち慣れていたが、空中から撃つのははじめてだった。それでも、ヤブクロンは、ドンカラスとの特訓を思い出し、バランスを崩さない。
 その技は、文句のない威力で、見事ヒトモシをとらえた。

「参りました。まさかこの短期間で両腕で撃てるよう特訓されているなんて。ドンカラスちゃんが両利きだと知っていたのに、油断しましたね。……さっきは失礼なこと言ってごめんなさい」
 シオンがヒトモシを抱き上げて言う。
「当然だろ、完成しなかったらバトルなんて呼ばねー」
ダイジュは飄々と言った。態度が大きいのは相変わらずだ。
彼よりも幾分か大人のシオンは、ダイジュの前に、水色と白のボーダー模様をしたスカーフを差し出す。
「私は私で、サブウェイでしっかりBPを稼いでいました。ダイジュくんとヤブクロンちゃんに、これ――こだわりスカーフをプレゼントするために」
えっ、とダイジュは短く言った。さっきまでの態度はどこへやら、自分がもらってしまっていいのだろうか、と思い始める。
「ちょっぴり使い方が難しい道具ですけど、きっとあなたたちの力になりますから」
ダイジュは、ヤブクロンの身体にバランスを持たせるトレーニング計画を立てる上で、彼女は身体が他のヤブクロンより少し大きく、パワーがある代わりに素早さが少し足りないと見抜いていたが、それはシオンも同じだったのだ。自分とは違い、シオンは数日に一度しかダイジュのヤブクロンに会わないのに、やっぱりどこかとんでもない人だ、とダイジュは思い返す。
「あ、ありがとう……ございます」
「あら、ダイジュくんのことだから、サンキュー、って言って、ばっと取っちゃうのかと思いましたけど」
 シオンはヤブクロンの前にしゃがみ、こだわりスカーフを彼女の頭にちょうちょ結びしてやる。ヤブクロンも気に入ったようで、少し顔を赤らめた。
「可愛いヤブクロンちゃん、ダイジュくんがいい人で本当によかったですね」
「ホウッ!」


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