それぞれの長い歴史


 乾季になると、見かけるポケモンたちが一気に変わる。
 花にいたり、叢にいたりとか色々。
 それに、土だって変わる。

 土をさらさら撫でていると、僕は母にいつも服を引っ張られる。
 またそんなことして、もう十歳になるんだから土いじりはやめなさい、と言う。母は何もわかっていない。
 土は命だ、僕たちだって、ここダイロウの土を踏んで力強く生きている。
「トギリくん、気にしなくていいと思うわよ」
「土に触って生き生きしてるお前を見ると、おれも昔に戻れた気分になれる」
 近所の人はそう言ってくれた。だから僕は堂々と土を触れるけど、できれば母にも知ってもらいたい、とは思う。

 その日は、またひとつ発見があった。
 かなり渇いた砂のようなものが、ダイロウ北、“左腕”から流れる滝の裏まで続いていた。
 ここから先は、僕たち先住民の住む場所ではないから絶対に出るな、と両親にも町長にも言われた。だがその時の僕はどうしても気になって、滝の裏を進んでいった。
 いつの間にか、僕はハイハイをするように進んでいた。間近でそれを見ると、どうやらポケモンの足裏についていた砂らしく感じられた。
 そのまま、僕はなにかふわっとしたものにぶつかった。
「……え」
 気付けば周りは影になっている。見上げると、そこには怪獣がいた。
「君は……?」
 立派な尻尾もついた黄緑の身体はまさに怪獣といったところだが、つぶらな瞳のまわりは赤い円で包まれ、またとがった触角もあり、顔は昆虫のようだった。虫タイプなのか、ドラゴンタイプなのか。
「ゴーン……」
 そのポケモンは物憂げにないた。
「ごーん……」
 何を言われているかわからなかったが、僕はひとまずそう返してみた。
 そのポケモンから離れ、周りを見渡す。ひどく乾燥した地帯だ。向こうのほうに居住地が見えるが、ここは誰も住んでいないようだ。
「ひとりぼっちなの?」
「ゴン」
 そのポケモンは首を横にふる。
「え、他には誰が?」
 僕がそう訊くと、そのポケモンはゆるく手を合わせ、ゆらゆら揺らしてみせた。
「あ、子供がいるんだね」
 そのポケモンは頷いた。
「ねえねえ、どこに……」
 僕が言い終わるまでに、そのポケモンは僕の口を塞いだ。砂の音も消えた中、岩場から寝息が聞こえた。
「あ、寝てるんだね、じゃあ邪魔しないほうがいいね……」
 僕は声をひそめて言った。そして、また砂の跡を振り返る。
 なぜこのポケモンは、滝の裏のあの場所まで来たのだろうか?
「ゴン」
 そのポケモンは、つい考え込んでしまった僕の肩をぽんぽんとたたく。
 僕が顔をあげると、そのポケモンは静かに砂を舞い上げ、そこから出てきたものを僕に見せる。
 はじめはよくわからなかったが、僕がゆっくり丁寧に砂をはらってみるとわかった。砂の下には固い土があり、それは柱や壁の跡をしっかり残していたのだ。
「お家……だよね。それも僕や近所のみんなの家と間取りがそっくり……」
「ゴン、ゴン」

 その出来事を境に、僕はこっそり町を抜け出して、そのポケモンといろんなところを掘るようになった。
 土のまま残しておくと風化してしまうから、最後には必ず砂をかぶせた。
 やがてお弁当も持っていくようになり、僕らは仲良くなった。

 そして、僕は町長の家にもよく行くようになった。
「おじゃましまーす」
「トギリ。最近はずいぶん勉強熱心だな。おじちゃん、おばちゃんも喜んでるんじゃないか?」
「んー、あんまりかなー。晩御飯の話題はできたけどね」
 そしてまた、僕はそのへんの本棚から本を取り出して読んだり、昔の人が書いた石盤を眺めたりする。
「ねえ、町長さん。地図とかないの?」
「地図? なんのだ?」
「ダイロウの外の。僕らの先祖って、昔っからここにしか住んでないの?」
「……トギリ」
 町長はそっと僕の隣に座った。
「人が減ったんだよ、争いで」
「えっ、ってことは、昔はもっといろんなとこに住んでたってことだよね」
 町長は目を伏せて頷く。僕は、急に町長の顔にきざまれた皺を意識しはじめた。
「いいか、トギリ。争いとは醜い。だが、誇り高き者は争うことを選ぶ」
「……?」
「今はわからんでいい。だが、もうダイロウの外に興味は示すな。今となっては、この土地を守るだけで充分だ」

 そう言われても、僕は懲りずにそのポケモンのもとへ遊びに行った。
 そこへ行くと、古くて新しい世界を知ることができた。
 手作りのおにぎりを食べ終えた後、そのポケモンは急に立ち上がり、南へと歩き出した。
「えっ、そっちは滝のほう……」
 僕はよくわからないままついていった。やがてそのポケモンの足裏についた砂が、赤い土を薄く染めるようになった。

「ゴン」
 そのポケモンは滝裏から五メートルくらい離れた場所の崖に触れる。
 僕も同じようにして触れてみる。ぱらぱら、と上から土が落ちてきた。そのポケモンはふっと上を見上げる。
 壁にはさまれた中真っ直ぐに伸びる空と、“左腕”の赤は強烈ながら調和した色合いであった。
 そのポケモンは急に内股になる。そしてまた、「子供」について教えてくれた時のような身振りをした。
「あっ……“お母さん”?」
「ゴン……」
 そのポケモンは首を弱く横に振った。
「……わかった。……“奥さん”……」
 僕がそう言った時、そのポケモンははっとした。つぶらな瞳に流れる涙が僕にも見てとれた。
「そうか。十数年前、ここで土砂崩れがあったって、町長さんの家の本に」
 そう言っている間にも大粒の涙が流れる。僕もついもらい泣きしてしまった。
「ねぇ、君たちって、どのぐらい長く生きるの?」
 答えは聞かなくてもよかった。言葉は嗚咽でかき消されていた。

 いつも遊んでいた場所に戻る。乾いた砂漠に落ちる涙は、色が濃くはっきりと映る。
 ずっと地平線の向こうの集落を眺めていたが、そのポケモンはのしのしと岩場に向かった。
 そのポケモンは、赤ちゃんポケモンを抱きかかえていた。
 寝ているが、茶色い身体につるぴかな頭。僕が子供だった時も、こんな感じだったのだろう。
 そのポケモンはそのまま僕に渡そうとする。えっ、と僕がためらった時、そのポケモンは西を見た。
 太陽が沈みゆく中、桃色に染まった雲がそれを見せたり隠したりしている。
「……ひょっとして」
 そのポケモンが向き直ると、また赤ちゃんポケモンを手渡ししようとする。今度はしっかり受け取り、不器用ながらも同じように抱いた。
「フラァーイゴーン!」
 そのポケモンの甲高い声が、夜更け色の空に響く。そのまま砂を蹴り、夕日のほうへと飛んでいった。

「ゴゴガァー?」
 その声に、抱きかかえていた赤ちゃんポケモンが目をさます。手足を動かし降りたがったから、僕はそっとそのポケモンを砂地に降ろした。
 そして、またそいつも西の空を見上げる。
「お父さんは、お母さんのところに行ったよ。お母さん……覚えてる?」
 僕が話しかけると、そいつは振り向いた。しばらく動かずにいたが、はっきりと首を縦にうごかした。
「そう、よかった。忘れちゃだめだよ。僕も忘れないからね」
 また夕日が顔を出す。飛んでいったポケモンはすっかり消えてしまった。
「僕は君のお母さんにもお父さんにもなれない。でも、……友達にはなれるよ」
 涙の渇いた顔で、なんとか子供に向けた笑顔を作る。そのポケモンは、笑顔を僕に返してくれた。

 家に帰ると、本当に子供のような見た目をしたポケモンのことを、両親はすぐに気に入ってくれた。
 後で本を読んで知ったことなのだが、このポケモンはナックラーというらしい。

 それから僕は、この地の歴史や地層について、より調べるようになった。失いたくない記憶があるのだ。
 はじめはそんな僕に両親は呆れ果てていたが、町長の家に出かける僕の後ろで言っていたこの言葉はしっかり届いていた。

「ただの土いじりかと思ってたら、学問になっちゃってたわね……。それならとことん極めていってほしいものだわ」
「強い意志を持っているんだ、あいつはもう大丈夫だよ」


120820