リトル・サクソフォニスト・ボーイ
クリスマスは、バトルフロンティアのスタッフたちは帰郷して家族と過ごすケースが多い。
ニアもそんな一人だったが、ぎりぎりまで帰ることはせず、ステラの様子を見ていた。
「ステラはどっか行かないのー?」
「帰らない組でパーティする」
「そうじゃなくて、彼女さんとデートでしょー」
「このミーハーめ……」
ステラはニアの帽子をとり、桃色の髪をわしゃわしゃ撫でた。
ニアは笑いながらも、彼を視線から外さない。
「デートもなし?」
「……お前こそ彼氏いねぇの?」
「えっ、えっ! うーん、残念ながら」
「つまんねぇー。ほんじゃ、オイラタワー行くわ」
ニアの質問をはぐらかしたわけだが、ステラはそれを悟られるわけにはいかなかったのだ。
今、恋人と会えない環境にあること。物思いにふけるだけで辛いこと。
タワー前には、既に大きなクリスマスツリーが飾られていた。
サクハの新しい観光地として注目を浴びているフロンティアだ。しかもこんな季節ともなると、見たこともない若者ばかりだ。いつもなら、スタッフの一人にでも会うものだが。
ツリーの裏から旋律が聞こえ、ステラはそちら側に回った。
音の正体はトランペット吹きだった。夜空と凍てつくような風に吸い込まれる音のいくつかをとらえると、ステラには昔の話が思い出された。
らー らーらー らーらー らららーらー……
冷たいレンガの道を、幼いステラは小またで歩いていた。
噴水広場までの、いつもの道のり。その頃は貰ったばかりであったテナーサックスも、今よりずっと重く感じられた。
そこで一吹きしてみれば、なんのことはない、それに気づかず人々は通り過ぎていくだけだ。
だが、そんな中に、哀れみを浮かべた表情でチップを入れていく者もいた。
チップを入れてくれるやつは、いいやつ。ステラにはそれが全てだった。
もともとスラムではスリ担当、足は速い。だから肺活量も、この町でぬくぬく育った子供たちよりも格段に上だ。この寒さの中、サックスを吹き続けられるやつもいないだろう。
肺活量は、元々父譲りでもあるらしいのだが、母を置いてどこかへ行った父は肺がんになって死んでしまえ、とステラは密かに思っていた。
父から貰ったものなんて、常に首からさげている、この光る鍵だけでいい。これには夢がある。これがいつか自分を、輝く場所に導いてくれるのではないか。父は嫌いだが、鍵のことは好きだ。
サックスを吹き、人々が通り過ぎる度、少しうつむく。そこにはいつも、鍵があった。
「ねえ」
ステラは、その可愛らしい少女の声に顔を上げた。丁度、クリスマスらしい曲――これは近くのショッピングモールで流れていたものを覚えただけなのだが――を吹いていた時だ。
長いスカートをなびかせる、いかにも育ちのよさそうな少女だ。
「ほらママ、素敵よ」
「いいから、早く来なさい」
「えー……あたし、まだ聴きたいよぉ」
「もう、早くって言ってるでしょ」
少女は、すぐに彼女の母と思しき女性に引きずられていった。
だが、彼女の後姿を見つめていて、引きずられていてもなお、身体でリズムを取っていることがわかった。
なんとかチップも集まり、帰り道。あの少女のことが頭から抜けなかった。
彼女はチップをくれなかった。だから、いいやつじゃない?
素敵って言ってくれた、いいやつ?
そんなことを考えていると、自分はものすごく悪いやつなんじゃないかと思えてくる。
「わっ」
ステラは、道端の石につまずいて、前のめりに転んだ。背中にしょっていたサックスの重みが加わり、痛みが音叉のようにじんじん伝わる。
歯を食いしばって立ち上がると、そこは知らない場所であった。道を間違えたのか、レンガの道はここで終わり、草原が広がっている。
急いで引き返そうとすると、身体に強い温もりを感じた。
「え……?」
その温もりの正体はちょうど上空にいた。立派な翼を持つ炎タイプのポケモン。鍵やサックスのように、美しく輝いている。
それから、きれいな花火をあげる。
「励ましてくれてんのか……?」
言葉を理解できるのか、そのポケモンは頷いた。
「へへ、ありがとな」
それから、ポケモンはステラがいつも通る道を指差す。そこまで行けたら、あとはいつもと同じだ。
ステラが歩き始めると、ポケモンは西へと飛んで行った。振り返った時には、もう随分遠くにいて、さすがに聞こえないだろうとは思ったが、冷えた空気に言葉を零した。
「メリークリスマス」
らー らーらー らーらー らららーらー……
後から知ったことだが、その曲は“リトル・ドラマー・ボーイ”と云うらしい。
リトル・サクソフォニスト・ボーイだとなかなか運命的なところだが、残念ながらもともとサックスで演奏はされない。
昔からのクセで、ごく小額しか入れていない財布からチップを取り出すと、そのトランペット吹きの隣にあった箱に入れた。
そして、
「……電話、しとくか」
と言って、ロビーに戻った。