「……あれ?」
 そこで見つけた甘い香りの木には、先客によるミツが塗られていた。いつもならすぐポケモンたちが舐めてしまうはずだから、こんなことは初めてだ。
「まあいっか。塗っちゃえ」
 構わず、ゼウラは自分のぶんを塗る。かずさのすけが随分と念入りに匂いをかぎだし、気になってゼウラも顔を近づけた。ふんわりと、どこか懐かしい香りがする。

 しばらくの間、茂みから顔だけを出し、木にポケモンが来ないか窺う。
 ミツハニーやチェリンボは今までに何度も見た。いつもなら、そんなに木のことを気にすることもないのだが、ゼウラはあの香りのことが離れなかったのだ。
 ――クオンちゃんは、木からより甘い香りが出たらゴンベも来るって言ってたよね。
 ソノオはここから近い。ゴンべに会えたら、クオンに会いに帰ってもいいだろうか、と、旅立つ日に貰った花を取り出して思う。いつからだろう、年上の幼馴染、ただの遊び相手だった彼が、頼もしいと感じたのは。いつからだろう、もし今も隣にいてくれたら、と夢想するようになったのは。
 「……でも、出来るようになったこともあるよ」
 かずさのすけや、新たな仲間であるふさことゆきぞうと向き合うこと。
 フタバやリフ、ヒスイたちと協力すること。自分よりも経験の深いレノンやクリア、イチト、ソフィアに、ポケモンについて教えてもらうこと。
 もしクオンがいたら、甘えていたかもしれない。そう回想すると、すっかりぼろぼろになってしまったスケッチブックも、とても愛しいものだと思えてくるのだ。
 ――クオンちゃんは一緒に見てくれるかな。

「ありがと、クオンちゃん。ありがと、みんな」

 その時、どたどたと大きい足音がした。木に向かって、その音は大きくなってくる。
 がさぁ、と茂みから飛び出したのは、見た目と名前だけはよく知っているポケモンだった。
「いた! ゴンベー!」
 服が傷つくのも構わず茂みから飛び出し、ゼウラもゴンベめがけて駆ける。両腕で覆ってもすり抜けられ、中腰で走ってもう一度覆う。ゴンベはそれでももがくが、一度目ほどの抵抗はない。
「捕まえたよ!」
「つっかまーえたー……って、ええ!?」
 ゼウラが顔を上げると、そこには黒髪の幼馴染、クオンがいた。彼は太陽の色の瞳をしばたかせる。
 ゴンベを捉えた手がクオンにも触れていることに気付き、とたんに恥ずかしくなって手を引っ込めようとすると、後ろ向きに転んでしまった。それにつられてか、クオンも体制を崩す。
 顔が近い。
「……ゼウラ、ちゃ」
「お、おもい」
「ゴーン!」
 何かを考える前に、重みがダイレクトに伝わってきた。ゴンベは見た目よりも随分重い。
「ほらゴンベ、君の目当てはこれだろう?」
 そう言って、クオンはミツの入った瓶を取り出した。ラベルには、「ソノオの花畑 養蜂場」とある。
「あっ……知ってる匂いだと思ったら、先に塗ってたのってクオンちゃんだったの!?」
「へへ……実はそうなんだ」
 クオンが蓋を開けると、ゴンベは顔を突っ込んでがっつく。ゆっくりね、とクオンが背中を撫でた。
「……でも、二人が塗って香りが混じったところで、ゴンベが来るなんて……なんか……」
「運命ってことだよね」
「!」
 言葉の詰まったクオンの代わりにゼウラが言うと、クオンは目を逸らした。
「ふふ。クオンちゃん、かずさのすけみたーい」
「ばっ……!」
 そこですぐにクオンが向き直ると、反対にゼウラが俯く。貰った花はより生気を増し、甘い香りを放つ。
「クオンちゃんは、お兄ちゃんだから、クオンちゃんなんだけど」
「……うん」
「クオンちゃんから見たら、私なんて子供でしょ?」
「ま、まあ。……でも」
 花を握る手に手を乗せられる。ああ、また。
「さっきの、ゴンベを捕まえた時の笑顔とか。たまに……すっごく可愛いなって思う時があって」
「……クオンちゃん」
「ゴーン!」
 重なり合った二人の手に、ゴンベがぶら下がる。
「これは確かに重っ……!」
「もう食べちゃったのー!?」
「ゴン!」
 ゴンベは空っぽの瓶を片手に、ミツまみれの顔でにへっと笑った。その様子に場の空気が和む。
「……クオンちゃん」
 可愛いと言われて嬉しくないわけがない。だからクオンにも、笑顔満開で話しかける。
「一緒に帰ろ。ソノオに」
「……うん!」
 おいで、と言うと、ゴンベものこのこついて来る。道端に増えてきた花が、いつまでも変わらない、あたたかな故郷へ続く道なのだと語っていた。

【ソノオ式ポケモン図鑑 今日のページ】
・ゴンベ


 蒼紫さん宅クオンくんをお借りしました。 190111