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ブリオニアの話を練ろうの会(4)
2018/12/10(Mon)
 旅籠で一泊し、ハーメルンを目指す道中、なだらかな丘陵地に単一の木が植えられた人工林が見えた。
 近づいて木を見上げると、茂る葉の間に橙色の大きな実がついている。木の実としてなっている状態を初めて見たが、これがチョコレートの原料、カカオであるとはデイジも知っていた。メルヒェン地方は古い様式の階級社会を残しているときいたから、嗜好品もあるだろうとは思っていたが、まさかカカオまで自国で生産していたとは予想外だ。
 そのまま歩みを進めると、どこからかけだるい声の労働歌が聞こえてきた。

 育て運んですりつぶし
 果たしてこいつら何処へ行く
 そんなの決まっているじゃろう
 あとから来よった貴族のもとへ
 貴族、貴族、貴族のもとへ!
 味も知らない黄金の実よ

 訛りのきつい語調だったが、少し聞き取るたびに、この地の庶民の生活というものが伝わってくるようだった。
 落ち葉を踏みしめる音で、その場に別の人がやってきたことがわかる。彼の歌は、どこか力強かった。

 まあまあそう気を落としなさんな
 今日のお客を知ってるかい
 シュティー、シュティー、シュティーフェルの旦那!
 なるだけ良い実を運ばねば

 その歌に元気づけられたらしく、落ち葉の音から察するに、労働者たちの足取りは軽くなったらしい。つまるところ、「シュティーフェルの旦那」と歌われた人物は、労働者たちの尊敬を集めているのだろう、とデイジは考察した。

 ハーメルンに着いた頃には、そんな歌のこともすっぽりと抜けてしまっていたのだが、町の住民の貧しい身なりや、憂さ晴らしに騒いでいる様子を見ると、彼らも労働者階級なのだろうとデイジは思った。
 商業さかえる迷宮街、確かにこの町のことを良く表現するならそうだろうな、とデイジは合点がいった。実際はホームレス小屋も多いし、ポケモンたちの目つきも悪かった。砂の民の住むクオンタウンも、サービス業などで食いつなぐ人が多いのだが、それでももう少し生き生きしている。
 それでも、町民の身なりがあまりよろしくないのは、デイジにとっても好都合だった。上半身は黒の半袖シャツのみだが、下半身の民族衣装は長年の旅でぼろぼろだ。この町では悪目立ちすることもない。相棒であるドンファンのパレードも目つきが良いとはいえないが、隣りで連れ歩いていてなんの違和感もない。
 ふと、青年とすれ違った。自分と同い年ぐらいか、あるいは少し下であろう緑髪の青年とデイジは互いを気にも留めなかったが、彼のポケモンは事情が違ったらしい。彼の後ろをついていた、二足歩行の青いポケモンは、ふさふさの尻尾を翻して振り返り、文字通り大地を揺らした。
「アウレ?」
 手持ちポケモンの異変に、トレーナーである緑髪の男も気がつく。低く思い音をデイジも察知し、ポケモンのほうを向いた。オスのニャオニクスだ。確かこのポケモンは−−危険を察知するとサイコパワーを放つ。
「パレード!」
 持ち上げられた耳の奥、その光の禍々しさを見て、デイジはとっさに指示もなく名前を呼んだ。それでもドンファンは察したらしく、ニャオニクスのサイコパワーを打ち消すように地ならしし、街路と小屋を守ろうとする。
 ニャオニクスが耳をしまうと、つぎは目をぎらりと光らせた。その目で見つめられたドンファンは硬直する。“黒い眼差し”だ。
「くっ……」
「お前、何をした」
 冷たい声で青年が詰め寄ってくる。そのままクランケンハオスに送ってやってもいいと脅される。こういう場面に出くわすことも少なくなかったデイジは、返事はせずに相手を観察する。よく見ると、この町の者にしてはやけに身なりが良い。黒のジャケットと緑のネクタイを着衣した姿は、なにかの制服であるようにも見える。
「ミャア」
 彼のパートナーである、アウレと呼ばれたニャオニクスが彼の腰をぽんぽん叩いた。青年が気づいたところで、ニャオニクスはドンファンを指す。ドンファンが守っていた街路は全く損傷がない。
「アウレ。別に原因があるのか?」
 ニャオニクスは頷き、デイジのもとに歩んで右手を差し出した。まるで人間が握手を求めるかのように。デイジは右手でニャオニクスの小さな手を握り、応えた。
「……見かけない顔だし、正直怪しいとも思うが、アウレの予知はよく当たる。つまりお前は、メルヒェンの危機に立ち向かう何かを持った人物なのだろう」
「俺が?」
 いきなり物語の冒頭部分のような言葉を吐かれ、デイジは思わず自分の胸を指した。トレーナーの素早い状況把握を見て、ニャオニクスは柔らかい眼差しでドンファンに触れる。戦闘は終了し、ドンファンはまた自由に動けるようになった。
「メルヒェンの危機、というのは?」
「そんなの僕だって知らねえ。ただ、近頃アウレの様子が落ち着かないのも確かだ」
 そこまで話したところで、路地裏から数人の労働者が歩いてきて、その緑髪の彼の存在に気がつく。
「あ、シュティーフェルの旦那! 来るとは聞いていました、今週分用意できてますよ」
「わかった。すぐに行こう」
 せっかくだしお前も来るか、と目配せを受け、デイジは迷いなく同行することにした。なんといっても、彼がカカオ畑の労働者の歌と同じ名で呼ばれたのだから。

 情報を得るなら仲間のバーで飲んでいくといい、とシュティーフェルに勧められ、二人は幌馬車に相乗りして北上した。荷台には、二人のほかに、簡単に加工されたカカオが大量に積まれている。聞けば、彼は「お菓子な街」レープクーヘンにチョコ専門店を持つショコラティエらしい。
「僕のチョコが不味いわけがない。彼らが丹精込めて育てたものだからな」
 一見傲慢にも聞こえる言葉だが、そう話すシュティーフェルの瞳はどこまでも真っ直ぐだった。瞳は同じ色をした荒野の地平線を映す。
「ハーメルンは僕が生まれた時から同じ。昔貴族がプランテーションを作りやがったせいで、カカオを育てて現金収入、他の食べ物も買って揃えて、少し余れば週末に憂さ晴らし。僕のチョコが高いとか抜かす奴は、一度適正価格ってもんを考えたほうがいい」
 きつい口調で話すが、しかしデイジには、彼も相当な苦労と葛藤を経験して、今の地位についているのだろうというのは察しがついた。他の事業者よりも高い価格で加工カカオを買う彼を、ハーメルンの労働者たちは尊敬し、信頼しているようだった。
 どの土地にも、独自に抱く苦がある。矛盾があり、それと戦う者がいる。そして、それと戦うために必要なものは。
「ハーメルンの男たちは、これがチョコレートになるってこと知ってんのか?」
「知らないだろうな。知るすべもないのだから」



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