もうひとりの憧れの人


 よろしく、キモリ、とはにかみ挨拶すると、キモリは笑顔で飛びついた。クールな見た目に反して愛嬌のある動作だ。
 初めてのパートナーをゆるく撫でて、それから博士を見上げたショータという少年は、今まさにポケモンを連れて冒険の旅に出ようとしている。
「相性ばっちりで良かった。キモリは甘いものが好きだから、今度一緒にケーキを食べると良いよ」
「本当ですか!?」
 僕もケーキ大好きなんですよ、と語ると、肩に乗るキモリも目を輝かせる。既に似ているなぁ、とオダマキ博士も微笑んだ。
「君たちは上手くやっていけそうだ。でも、旅には時たま想像を絶することが起こる。来る難題にともに立ち向かう時にこそ、真実の絆が生まれるだろう」
「真実の絆が……」
 ショータが右を向くと、頬がキモリの鼻に当たった。キモリはショータの目を見つめて、首をかしげる。
「まあ、何事も経験してみることだ!」
 そう陽気に助言するオダマキ博士の白衣を見つめると、所々が汚れている。ホウエン地方のポケモンの分布調査をするために、すぐに外に飛び出す博士の外見、そして立派なポケモン研究所こそが、経験の大切さを物語っていた。
 となると、この研究所は経験値の宝庫。そう思って見回すと、書物やノート、眠るポケモンたち、それらのすべてが彩りをもって見える。
「……あれは?」
 ショータは一冊のノートに目がいった。表紙には初心者トレーナーに人気のある水タイプポケモン――ショータの記憶が間違っていなければミズゴロウ――が勢いのある線で描かれていて、研究所という場には似つかわしくない。
「あー、それに気づいちゃったか」
 オダマキ博士は困ったように頭を掻いた。ノートを開けば、行数の少ないページにめいっぱいの大きな字が埋まっている。
「これは数年前に息子が書いていたノートで。昔はフィールドワークの手伝いをよくしてくれたものだけど、今となってはバトルのほうに興味が出たみたいでね」
「息子さん、ですか」
 ショータは、そのお世辞にもきれいだとは言えない字を追う。一ページ目はジグザグマで、その次がケムッソ。そしてその次が表紙にも描かれていたミズゴロウについてだが、このあたりから、ポケモンの分布とか生態とかいう話よりも、バトル関連の話が増えてくる。
「水タイプのポケモンだが、ヒレがレーダーとして働くお陰で、自分の視界を犠牲にしやすい地面タイプの技も巧みに操ることが出来る。陸上・水中に強いが飛行タイプのポケモンと戦うのは苦手。対策としては、スバメを相手にフットワークを身につけて――」
「はは、懐かしいな。とにかく筆まめだったけど、通話での連絡はほとんどしてこなくってね。テレビでバトルの大会をやる度に元気そうだと安心するんだ」
「そうなんですか」
「ショータくんも、バトルしたいって言ってたよね。それなら、いつか息子と進化したミズゴロウに会えるかもしれない。キモリにとっても先輩だし、会った時はよろしくね」
 知りませんでした、とショータはキモリに話しかける。しかし、キモリは研究所から旅立つ多くの同族、アチャモ、それからミズゴロウを見てきているのだ。
「キモリは、息子さんのミズゴロウはご存じなんですか?」
「キャモ?」
「もっと前の世代のミズゴロウなんでしょうか」
 キモリは首を傾げた。やっぱりよくわからないですよね、とショータは笑った。
「僕たちは僕たちで、強くなりましょうね。改めて、これからよろしくお願いします」
「キャモ、キャモキャモ」
 キモリは肩から降りて、恭しく一礼したショータに答えた。

 夜の都市の明かりは、ショータとキモリの船出を暖かく見守るようだった。
 カロス地方を旅したいのだ、と言うと、両親は驚きつつも、快く受け入れてくれた。それで張り切った両親に、革製の鞄を持たせられて、大げさな、と言うと、値段が高いものは持ちが良いのだ、と父親に諭された。
 そうだ、カロスは広い。長旅になることは必至だ。
「カロスの旅、必ず成し遂げましょう。帰ってくる頃には、メガシンカの夢も叶えられているように」
「キャモ!」
 最近になって世界を騒がせているメガシンカ。その技術の習得は、カロス地方へ行くことが何よりの近道。
 だからこそ、地元ホウエンではなくカロスを回るのだと、この十歳の少年は決意していた。
 明日朝の便で、ホウエンからカロス最大の都市、ミアレシティへと発つ。体力を温存するため、ポケモンセンターでゆっくり休まなければならない。
 そう思い、ポケモンセンターに着いてチェックインを済ませた、その時だった。
「盛り上がってまいりましたチャンピオンリーグ! 赤コーナーのユウキ選手が繰り出したのはラグラージだー!」
「キャモ、キャモキャモ!」
 案内嬢が戸惑うのも知らず、ショータは焦るキモリを見て振り返った。ロビーの巨大モニタに、ユウキと呼ばれた、ショータより幾つか年上の少年が映る。
「大きなミズゴロウみたいなポケモン……! まさか」
「キャモ」
 キモリは静かに頷いた。一人と一匹は、モニタの向こうのバトルに見入る。
「まずは……欠伸」
「ラァ……グ」
 緊張感の走っていたスタジアムで豪快に欠伸し、相手を戸惑わせる。
「おーっと、ブーバーン、眠気を誘われた!」
 ブーバーンと呼ばれたポケモンも欠伸を返し、ラグラージに攻撃を一発かましたものの、その場で眠ってしまった。
「ラグラージ、鈍い!」
 しかしラグラージが攻撃に転じることはなく、その場で真っ直ぐに座った。
「もう一度!」
 ユウキの指示に伴い、ラグラージは座ったまま動かない。動きが鈍くなっているのがショータの目にもわかった。そうしている間に、ブーバーンは目を覚ましてしまう。
「スピードはこちらが上のはず。ブーバーン、クロスチョップ!」
「地震!」
 ラグラージはその腕を思いっきり振り上げ、地面に拳を叩き付けた。クロスチョップの攻撃力に右腕のみで耐えながら、周辺の地面に亀裂を広げてブーバーンを足止めする。
「波乗り、だ!」
 続いて、ショータが見たこともない波を起こすと、ブーバーンは吹っ飛ばされてしまった。
「ブーバーン、戦闘不能。ラグラージの勝ち」
「よしっ」
 アップで映ったラグラージは、二度攻撃を受けたはずなのに、まだまだ体力が有り余っているように見える。なぜなのかショータが疑問に思っていると、実況解説がそれを晴らした。
「鈍い。自分の素早さを犠牲に攻撃と防御を上げる技ですね」
「はい。しかし防御が上がれば相手の攻撃も受けやすくなり、攻撃をしかける腕にぶれが減ります。拳が強ければ強いほど地割れは勢いを増しますから、結果として素早さの遅さを補えていますね。欠伸との組み合わせは、ブーバーンの特性が「やる気」ならば成立しませんが、そこは研究していましたね」
「さすがユウキ選手。しかし勝敗を決すにはまだまだ両者にチャンスあり! さて、コウキ選手の二体目は――」
 想像を絶するレベルの高さで、早めに寝ようと布団に入ってからも、ショータは興奮で目がぱっちり開いていた。
 それはキモリも同じだったようで、おいで、と言うと、キモリはショータの隣に寝転んだ
「彼がきっと、博士の」
「キャモ」
 疑問を含めたショータとは裏腹に、キモリは確信を持って頷いた。
「やっぱりそうなんですね。……すごかったですね」
 あんなものを目の当たりにして、言えるのはたったそれだけのことだ。まだまだ知ることが多い、と、それだけで自覚させられた。
「チャンピオンリーグっていえば、バッジを八つあつめると出場できるポケモンリーグのさらに上……途方もないように思えますが」
 ショータは起き上がって、鞄の中身を覗き込んだ。そこには、鞄と同じく両親が持たせてくれた、革製の手帳がある。
 丈夫な手帳カバーだから、ノートを使い切っても新しいノートを入れれば良い。これからのトレーナー人生で、長く意識するであろうビロードの質感。
「ユウキさんも、いっぱいノートにメモしてました。……僕もきっと」
 そう言って、手帳をかけていたベストの胸ポケットに入れ直した。
「経験値、たくさん集めていきましょう」
 振り返ると、キモリが笑っていた。
これから、キモリと、いろんなポケモンやトレーナーたちのことがこのノートに書き込まれていくこととなるだろう。
 それがユウキのノートのようになる日を夢みて、ショータとキモリは眠りについた。



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