第二話


 迷い人なんてやってくるの、久しぶり。前はいつだったかな。
 今度やってきたのはコウタ。ちょっと高めの身長に、短い黒髪。かなり普通のいでたちの少年。フルネームは安藤孝太っていうらしいけど、苗字で呼ぶ気はない。
 私ミサキは、ここ山中幼稚園で働いている中学二年生。コウタと同じ学年だ。

 山中幼稚園は、幼稚園というより、児童養護施設といった方がいいのかもしれない。幼稚園の児童も、親に迎えにきてもらって、笑顔で帰る……なんてことはない。あの子たちも、ある意味迷い人だ。
 幼稚園の年長になって、卒園の日になると、みんなは霧の中を一斉に旅立つ。“帰る”時なのだ。三年も幼稚園にいると、帰る場所を思い出す。霧の先に、私には見えない道が、あの子たちには見えるのだ。
 だから、中学二年生の男の子が来るなんて、ほとんどない。コウタは思いっきり例外だ。あいつも、いつか帰ることができるようになるのだろうか?
 なるだろう、きっと。
 私はいつまでも見えない道も、彼なら見えるようになるだろう。
 きっと。

  ●

「で、先生になるって、何すりゃいいんだよ?」
「幼稚園だから、読み書き計算はちょっとでいいわ。あとは歌を歌ったり、読み聞かせしたり紙芝居したり。帰りには必ずおもちゃをかたづけさせること」
「そういうこと訊いてんじゃねー!」
 もうミサキも知ってるはずだが、俺は小さな子供がすごく、すごーく苦手だ。
 だというのに、いきなり先生なんて、できるはずがない!
「じゃあ、特技を生かせることをすればいいじゃない。それならきっとすぐ慣れるわ。あんた、実技教科で得意なの、ある?」
 実技教科。そういえばひとつだけ“5”があった。そうだ、体育だ。
「体育を少々……」
「体育! いいじゃない。他には?」
「美術が4だったような」
「へえ。ピアノはできる?」
「ぜんっぜん!」
「そう。なら体を動かすのと絵を描くのはコウタの担当。歌を歌ったり読み聞かせしたりするのは私の担当。それでいいね?」
 これを聞いて、拒否権はないと思った。どうせやらなければいけないのだから、これでいい。
「いいよ」
「じゃあとりあえず、今日は寝よう。二階に一部屋あるから、そこで寝な」
「え?」
「まあ〜、あまりきれいじゃ、ないんだけど……」
「えと……今って、夜なのか?」
 外は霧だらけだ。あまり暗くなっていない気がする。
「んー、でも、時計は八時を指してるからねえ。それに月も輝いてるし」
 俺は外を見た。おぼろ月が、優しく幼稚園を照らしている。
「もう夜か……って、全然夜じゃないじゃねーか!俺いつも、十二時に寝てるんだぞ!」
「そんな遅くに寝たら、健康に悪いわ。それにここは幼稚園! みんなは早く寝るでしょ」
 幼稚園なのに、子供たちは家に帰らないのか? と訊こうとすると、ミサキはこちらが何を言いたいのかわかったらしく、それについて話し出した。
「この子たちも、あなたみたいに帰ることができない子たちなの。それに周りは霧だらけだし、帰れるのだとしてももうとっくに親が迎えに来てくれるはずでしょ」
 それもそうか。でも、ここの子供たちは皆帰ることができないって、どういう意味なんだろう?
「明日は早起きよ。はい、これ二階の地図。ここあんたの部屋だから。じゃ」
「ちょっ」
 もっと訊きたいことがあったのに、ミサキは踵を返して、そそくさと部屋を出ていった。
 手元には、ミサキに渡された地図がある。
「ここだって言ってたな、確か」
 俺は体育館を囲むように取り付けられているスロープをのぼった。この幼稚園に階段は無い。
「よし! この部屋だな」
 俺は、もう一度確認してドアを開けた。
 その部屋は、使わなくなった椅子やらダンボールやら、壊れたおもちゃやらがぎゅうぎゅうにつめこまれており、ドアをあけただけでそれらが一斉に出てきたのだ。
「え……ってちょっと待て! あまりきれいじゃ、ないんだけど……って、こういうことかよ! ふざけるなー! ミサキ、呪ってやるー!!」