悪夢の中の幸福
適当にハッキングした元宿屋の中で、オイラは今までに訪れた地を指で数えていた。
マリンタウン、アイオポート、ストリートコロシアム、んで今、シンオウ地方のミオシティ。
隣にはいつもロトがいて、母ちゃんがいて、ルリとかルンパとか増えてて。
でも、いつも心だけがない。あの楽しかった日々に置いてけぼり、絡まって取れないみたいだ。
今じゃ幼いガキじゃないから、哀れんでもらって給料ちょい上げなんてありえないし、雇ってくれる期間も少ない。結果、スリと万引きの再開。
荒んじまった? 元に戻っただけだろ。あの時は、エデルがメシ作ってくれてたんだし。
「トック、トーック」
まだボールに入れてなかったロトが、心配そうな声をあげた。
母ちゃんは具合が悪くて寝てる。他のポケモンはボールの中。ちなみに外、真っ暗。
「オイラ、まだ寝れないんだけど。お前もう寝るか?」
そう言ってオイラはロトにボールを向けたが、ロトはぶんぶんと首を横に振った。
「あれ、嫌なの? それとも、オイラに付き合って、無理矢理?」
ロトは、しばらく返事に困っていたようだが、それでもずっと見つめてると、首を縦に振った。
「ああもう、ロト、オイラのこと好きすぎ。オイラはロトのこと好きすぎ。わーったよ、もう寝るよ。明日、夜からだけどな、バイト」
まあもちろん、寝転んだところで眠れないんだけどな。
昔、ここで寝ると悪夢を見るとか言って、住民たちの噂になってたらしい。
今は、あるトレーナーが何とかしてくれたみたいなんだけど、はじめは母ちゃんが悪夢を見ないか心配だった。
オイラ? オイラはいいじゃん、今生きてる、これが悪夢。
もっと苦労してるヤツがいるって言われたって、こういうのって比較じゃねーの。モズクと納豆、どっちもまずいじゃん。シンオウ来てびびったぜ。こんな例えしかできねーけどさ、まあ、そういうこと。
母ちゃんはもっと辛いのかな。少なくとも、母ちゃんやロトには、悪夢の中を生きてほしくねーな。
あー、とっとと朝になれ。サックス吹いて、全部忘れる。アルコールより断然効くって思うのは、オイラが未成年だから?
「朝! おっきっろー!」
オイラはサックスを吹いて、町中の人たちを起こす。もはやミオシティでは定番行事となっていた。
「うっせーな! お前サックス上手すぎんだよ!」
住民はそういう挨拶をする。どこだって一緒だな、わりと。ホームタウンだけだったらどうしようとか、心配してた時代が懐かしい。
「お前ダンスうめーだろ、それでいーじゃん!」
ステラ、光フォルム。こっちが本当のオイラって信じてーな。ってことは、ステラ、オリジンフォルム、か。
尤も、オイラのバイト先知ってるオバチャンたちは、あんまりいい顔してくんないけど……。
スリと万引きしてること? 絶対ばれない、暢気なこいつらなら。
んで、早起きしたところで、やることがない。
だから、ロトをボールから出して、こう提案した。
「なぁロト、ちょっと近くを探検してみねー?」
「トック!」
ロトは二つ返事っぽく答えた。
決定。オイラとロトは、ミオシティのゲートを目指して歩いた。
でっきるだけ、遠く。ルンパの“波乗り”を使って。
シンオウ地方は、とにかくデカイ。隣町から、デカイ。コトブキシティて。何だこの大都会。いや、“地図にない町”の方がデカイかな……面積だけは。
「すっげぇなー。こんなとこで雇われたら、もっとギャラ貰えるかもしれねーのに……」
「トーック……」
「あ、ごめんごめん! オイラミオシティ好きだし海辺だし! 複雑な表情すんなってー。あ、そうだ、ロトは森とかの方が好きだよな? こっから南に行ってみようぜ」
そこは、コトブキシティの隣とは思えないくらい、ゆったりした場所だった。
都会のコトブキ、その南のゆったり道路。オイラの住んでた“地図にない町”は、都会ながらゆったりした時間が流れていた。どっかにそんなとこねーかなぁ?
そんで、ずーっと、のんびりしてて。
日が陰って、もうすぐバイトの時間帯になった。
それじゃ帰ろうか、って時に、オイラは見てしまった。
そっと出てきた、コロボーシたちを、それを見つめる、ロトを。
「ロト、ひょっとして……ここが、ロトの生まれた場所?」
「トク」
ロトは頷いた。
望んでたはずだ。彼女が、自分のいた場所を見つけることを。
なのに、こうも急に訪れてしまうと、どうすることもできない。
「あ、あのさ、オイラ、今家にいないこと、知ってるよな」
「トック?」
「だ、だだだだから、お前は、その」
何言ってんだ、オイラ。言いたいことでもないし、それすらちゃんと言えてないし。
でも、ここで離れてほしくないなんて、言っちゃだめなこと、わかってるし。
「コリーン!」
「コロロロロ!」
少し離れたところで、野生ポケモンたちがバトルをしていた。見たことないけど、耳に星型っぽい模様がついてる水色のポケモンと、コロボーシだ。
コロボーシが負けて、今にも泣きそうな表情になってると、昔のロトを思い出して何とも言えぬ気持ちになる。
「……行けよ」
言った。ついに言った。
「トック?」
「はじめから、望んでたことじゃないか」
ロトは、オイラとコロボーシたちを見比べる。
「居場所があるって、いいことなんだぜ。それにさ、はっきり言うぞ。お前がいなくなれば、食べる口が一つ減ってこっちとしても楽なんだよ」
酷い言葉だ。でも、実際、オイラもロトも、食べる量は減ってきている。このあたりには木の実だってあるし、ロトは強いからサバイバルを生き残れるだろう。
それに、コロボーシの頃から、いつだって、もとの住処に戻りたいと思わせられる行動はとっていた。やたらと出かけたがったり、勝手に叢に入っちゃったり。
「だーからね、お前はこっちに残るべきなの。数日もしたら、周りのコロトックとも溶け込んで、オイラでも見分けられなくなるかも……なーんて」
そんなことを、かなり嫌味な表情で言った。
「オイラもバイトあるしな、これから。“逃がす”」
「トック……」
「だからな! オイラこんな、サイッテーな親なんだよ! とっとと行っちまえ!」
そう言って、オイラは踵を返して、北へと走った。
「トック、トーック!」
ロトは、オイラを呼び続けた。でも、どんなに呼んだところで、あいつが戻るモンスターボールはない。
コトブキシティの喧騒は、全てを忘れさせてくれるだろう。
なんてったって、超賑やか。
……そう思ったのに、なんであいつの声が聞こえるんだろう。
もうロトじゃない、ただの、コロトック。だけどそれは、ロトの声。
そっと振り返ると、やっぱりそこに、ロトがいた。
「うっせー!」
オイラは精一杯の笑顔を作って、ロトに投げかけた。
「美味いもん食いやがれこのアマ! そんでいい旦那見つけろよ、オイラよりいいヤツなんてな、星の数ほどいんだぜ! 同じコロトックに限定してもな! オイラは嘘なんかつかねぇ!」
あーあ、言っちまった。ロトまで笑顔になってさ。
サイコーにもサイテーにもなり切れねぇ。これって結局何なの。コーテーサ無し。普通?
太陽が沈んで、オイラは海風にひとり凍える。
バイト先のバーに着いて、オイラはいつもの一声を。
「今日もいっくぞー! サッソク・サックス・いっきまーす!」
オイラはつかの間の幸せな夢を。
そして、ロトには、永遠の幸せを願って、オイラはサックスを吹き始めた。
110922