ブリオニアの話を練ろうの会(9)
2019/01/17(Thu)
次に目覚めたとき、視界にぼんやりと映った影は、確かにデイジの記憶に留められていた男性だった。
「アベルトさん! どうし……」
「お待ちを」
掌を突き出されたデイジは、上半身だけ起こした姿勢で硬直した。アベルトは、デイジが大聖図書館に入ったときと同じように、ホットチョコレートを差し出す。
「香りは」
「甘い」
「お味は」
「さっぱりしてる」
「……温度は?」
「まあ熱いけど、飲めないほどでは」
淡々とした質問にデイジが答えると、アベルトはため息とともに、胸を撫で下ろした。
「どうやら君に異常はないみたいだ……」
「俺に、ってことは他に誰かが?」
「僕は……どうやら、温度を奪われてしまったみたいで」
「お前はっ……!」
アベルトに似た容姿の青年が、開いたドアのすぐ横に立っていた。彼の後方、廊下側には、緑の髪の青年と、長い髪を二つに束ねた少女もいる。
「彼には僕から話そう。レーヒェン、君はロッソのもとへ」
「ああ、そうしよう」
「(よかった!)」
レーヒェンと呼ばれた青年は、そのまま場を去る。少女はスケッチブックを取り出し、そこに書いたペン字をデイジに示した。
「……あ、俺の声、でかいか?」
見渡せばどう見ても治療を目的とした部屋で、いきなり飛び起きてアベルトの名を呼んだのは、状況が状況とはいえ不適切だったか――とデイジは考えたのだが、少女は首を横に振った。
ならば何故筆談を、ともう一度黙考すると、ゲシュテルンのバーでの話が思い起こされた。「襲撃され」、「温度を奪われた」シュネレーと行動をともにしている「女の子」、……ということは。
「歌姫!?」
叫んでから、デイジは口を塞ぐ。少女は目を見開き、スケッチブックにペンを走らせた。
「(シレーヌでいいよ)」
まず反応するところが、歌姫と呼ばれた気恥ずかしさなのか、とわかると、デイジは苦笑した。
「わかった。シレーヌなんだな?」
少女――シレーヌは深く頷く。
「よくわかったね?」
「バーで歌姫襲撃の話を聞いていたから……」
「そう。そして彼女は声を奪われた」
シレーヌが表情を曇らせた。歌姫と呼ばれた彼女が、よりによって声を奪われるなんて、彼女の心労は察するに余りある。
「利用者様……いや、デイジくん。目覚めてすぐのところ悪いんだけど、ラウンジで情報交換しないか。今ここにはいない他のメンバー……ロッソとレーヒェンとも、是非話していってほしい。ロッソはもう少し目覚めるのに時間がかかるかもしれないけど」
「わかった。ところで、パレードはどこに」
「ポケモン用の治療を受けて、今は元気さ。まず会いにいくといいよ」
デイジが部屋を除くと、従業員はすぐに察したのか、ドンファンのパレードとすぐに再会させてくれた。
「パレード! 大丈夫か」
「ぶるーむ!」
パレードは笑い、鼻でデイジの腹をくすぐってくる。
「はは、よかった。……ごめんな、慣れない環境で無茶をさせて」
デイジが自信なさげに言うと、パレードは首を横に振った。その雑なジェスチャーは、いいってことよ、というより、何を今更、というニュアンスをデイジに伝えてくる。
「……まあ、そうか。ボールもあることだ、戻ってくれ」
パレードはあっさり従った。ボールに視線を落とし、デイジは独りごちた。
「これからも、無茶させるんだろうな……」
○
魔女軍に、キミと同じ風貌の女の子がいた。アンタは"どっち"だ?
目覚めた少年、ロッソにそう問われ、デイジは思ったままを返した。彼らの目的が何かしらの害であるならば止めるべきだ、と。
しかし、これで情報は一巡した。
魔女軍に砂の民がいること。
金髪の少女と銀髪の少女と行動をともにしていること。――恐らく銀髪のほうが、図書館前で対峙した彼女であるということ。
名を、ブリオニアということ。
デイジとしては、砂の民同士での争いは避けたい。しかし、一連の襲撃事件が魔女軍によるものという疑惑が深まる中、同じ砂の民だからといって、相手方の行動を全て肯定するわけにもいかない。
だから、デイジはシュネレーたちとは別れ、一人で砂の民について調べることにした。
しかし、先ほどの声が引っかかる。
――アンタは、"どっち"だ?
――僕らはもう、手加減をするつもりはないからね……?
片方は、低くずっしりとした声。
もう片方は、笑いを含んだ、消え入りそうな声。
トーンは明らかに違うはずなのに、この二つの声色が、デイジの脳裏にこびり付くように離れなかった。
「ブリオニア? ああ、知っているよ」
ブランシュネージュシティで聞きこみをすれば、ブリオニアを知る者は案外早く見つかった。
「よくうちの八百屋にも来てくれるからね。君、見た目も似ているし、彼女のお兄さんかい?」
「まあ、そんなものだ。よかったらここでの彼女のことを聞かせてくれないか」
ここで聞きこみをするときは、ブリオニアの兄を名乗ることに決めた。
「そういえば最近ふと見なくなったな。明るい性格で、おしゃれが好きで、よくボーイフレンドと腕を組んで歩いてたっけな」
「はぁ」
彼から語られるブリオニア像は、怪しさなどまるでない普通の女の子といった様子で、デイジは拍子抜けする。しかし、最近見なくなったという言葉は引っかかる。
その後もデイジは聞きこみを続けたが、誰も最近は見かけていないようだった。しかし、有用な情報は得られた。
フルネームはブリオニア・ヴァイスミュラー。メルヒェンではよくある苗字だが、出自が砂の民なのは父方だという。
「なぜ……?」
デイジには理解が叶わなかった。他に、砂の民の血を引いていると自称した者の苗字を訊いてみたが、シュミット、バウアー、ホフマンなど、ありふれたものばかりだ。
砂像を作るぐらいだから、ここメルヒェン地方に移住してきた砂の民は、五百年前にアフカスの民に地を追われそのまま出航した集団ではなく、暫くクオン砂漠にとどまり、砂漠での暮らしをしていた集団ということになる。
砂の民には苗字をつける文化はないから、メルヒェン移住後に現地民に倣った苗字をつけたのだろう。それにしてもだ。
誰も砂の民の言葉を使った苗字を名乗らなかったのだろうか? 安住の地を求めて移住してきたはずなのに、何かしらの形で文化や信仰を保とうとは考えなかったのだろうか?
「……こりゃ、根深い話だな、おい」
絶体絶命万事休す、と言いたいところだがまだ早い。メルヒェンの問題もある。それに今のデイジには、情報を交換できる仲間もいるのだ。
「それにしても」
手紙を書いてクランケンハオスに持ち込み、届け先を告げれば、飛行ポケモンが運んでくれる、というロッソの言葉を思い出して言う。
「ネットないって不便だな」