💙マイナーすぎる近鉄史【1】近鉄も古墳掘ってました

古墳を貫く鉄道路線。

そう聞いて私が真っ先に思い浮かぶのは、京都府木津川市内の椿井大塚山古墳を貫いているJR奈良線。

(当時は考古学的価値とか文化財保護とかそういう考えがあまりなかったようでナチュラルに貫いてるらしいです)
そんなことを知識として持ちながら、電車世代で文化財も大切にしてきた我が推し、近鉄さんにはありえへん話やなぁと、大軌(大阪電気軌道:近鉄の前身)の開業時の記事目当てで『奈良市史』を読んでいたら。

大正二年の四月から五月にかけてのこと、西大寺東方付近の線路敷の土台作りに、瓢箪山古墳やその付近からトロッコ線を引いて土砂を採取した(『奈良新聞』大正二年六月十四日付)。瓢箪山古墳の前方部西側が半分以上こわされたのはそのためである(『奈良市史考古編』)。いまではとうてい許されない話である。

推し……

やってもうてるやん……

該当ページは奈良市公式サイトにて無料で読むことができます(pdfファイル)
https://www.city.nara.lg.jp/site/bunkazai/7311.html
奈良市史 通史四 280p
第三章第二節 経済生活の発展[PDFファイル/2.3MB]←このリンクを探してね

線路で貫いたわけではないし、故意ではないけど、やっちまってた過去の推し。
しかしここで掘り下げたくなるのも歴史鉄の心理であり……

なお、私は考古学の知識は皆無ですのでそのあたりでの期待はしないでください←初っぱなから予防線を張る。

大正二年(1913年)の新聞記事をあたってみた

よし、では、市史の本文中にある「『奈良新聞』大正二年六月十四日付」を当たってみようぞ。
というわけで、近鉄奈良線新大宮駅で下車し、奈良県立図書情報館へ
必要な情報をプリントアウトし、カウンターで奈良新聞過去記事のマイクロフィルム閲覧を申請
膨大な記事がぎゅっと詰め込まれた巻き巻きのフィルムを受け取り、アナログ感溢れる巨大閲覧機を案内されました(これ若い読者さんに伝わるんかいな……)

しなみ休中年 (日曜土) 日四十月六年二正大

を探してひたすらフィルムを回転させるわけですが、途中で興味深い記事もあって目移りしてしまいました。

例えば天理軽便鉄道(近鉄天理線と法隆寺線・廃)やのちの奈良電気鉄道(近鉄京都線)についての記事が見られたり、
来年に大軌開通したら網島線(片町線/学研都市線)の宝山寺参詣客ゴッソリ流れて沿線がピンチだから電化のために払い下げを申請しよう(T2.5.29)とか、
天王寺から三輪町を経て伊勢山田市(ママ)に至る電鉄出願するよ、線路の幅は4フィート8インチで「阪神南海各電鉄と同型」だよ(T2.5.23)とか……って南海は線路の幅ちゃうやん

『奈良市史』で言及のあった6月14日の二週間前、5月31日に速報記事を発見。
・以後すべての引用文は、半角スペースやアラビア数字、現代仮名遣いなどを用い、読みやすくなるよう整理しています

●古鏡古刀の発掘
再昨日 生駒郡都跡村大字佐紀 藤田留吉所有の字衛門戸山林丸塚と称する所より 砂利採集中 地下約四尺の所より古鏡古刀十数品を発見せり

この時点では大軌のしわざであるとの言及なし。
都跡、今も「みあと」の読みで橿原線尼崎駅周辺の地名として残っていますが、読み仮名が「みやあと」だったのが興味深いです。
では14日の記事へ。一面ではありませんが新聞紙の上部1/3を埋め尽くさんばかりの大きな扱いです。

古墳発掘詳報
千五六百年以前の物==
六朝の神獣鏡に環刀と古
剣=正倉院にも見当らず

えらいもん掘ってますなぁ。

(前略)去月25日その所有地なる山林より大阪電気軌道株式会社の線路工事用土砂を採集中 古鏡古刀剣及び石器を発掘したることは当時本誌のいち早く報道せし所なるが~(中略)~考古学上参考となすべきもののみならず発掘場所が或いは御陵にあらざるかとの疑いあるより早速その発掘の停止を命じたり

その後は発掘場所、発掘物、教授の研究などが詳報されています。
まとめると

・田中惣次郎氏所有の「俗に瓢箪塚と称し瓢形をなせる前方後円の古墳」と藤田留吉氏所有の「丸塚と称する円墳」にまたがる場所で発掘
→現在の瓢箪山古墳衛門戸丸塚古墳

・瓢箪塚前方部から石器、丸塚からは古鏡と古刀が出土
・発掘物は石器3個、古鏡14枚、古刀剣(かすれが酷いですが恐らく)25個、矢の根19個、板石2枚
・石器の形は良いが刀剣は腐蝕
・刀剣は直刀で柄に環口あり、長さ100cmちょっと(!!)
・鏡は漢鏡または六朝鏡と称するもので、最大のものは直径18cm弱。裏面の模様は周囲に山形、中央に神像または怪獣のモチーフ
・年代は少なくとも1400年~1600年前ぐらいまで。正倉院にあるのは唐時代のものが主だからそれより古い
・「かの故西内橿原神宮宮司が石上神宮の宝剣を摸したるそれに似て稀有の逸品なればいずれ宮内省へ買上ぐるべく考古学上の好参考資材」

とあります。

撮影・研究もすぐ行なったみたいだけど、その後どうなったんだろう。見れるのかな……

古墳を見に行ってみた

目指すは近鉄京都線・平城駅。
奈良佐紀古墳群の中に、それらはあります。

周辺は佐紀石塚山古墳(成務天皇陵治定)、佐紀陵山古墳(日葉酢媛命陵治定)、五社神古墳(神功皇后陵治定)……と、大型前方後円墳のオンパレード。古墳を踏まないように敷設した近鉄京都線(当時は奈良電気鉄道、開業は昭和初期)すごいな
邪馬台国畿内説の最有力候補地、纏向遺跡(まきむくいせき、最寄りはJR桜井線/万葉まほろば線の巻向駅)よりは新しい古墳群で、政権北上を表わすと考えられているそう。

(以下2019年夏と2020年秋に訪れているため両方の写真が混在します)

道中のどでかい古墳群

瓢箪山古墳にたどり着きました。

土砂採取された西南部から北を向いて撮影。前方後円墳っぽいくびれが。
瓢箪山古墳は自由散策が可能なので墳丘に登れますが虫さんがいっぱいいるので苦手な方は気をつけよう。

墳丘から下り、東部から西を向いて撮影すると確かにこの盛り上がりは古墳っぽいですね。

前方部の西南隅で大正年間に土砂採取が行なわれ、一部原形をそこなっていた。墳丘の周囲には前方部の西南をのぞいて周濠がめぐらされている。周濠が全周しないのは本古墳の西南に隣接する丸塚古墳をさけたためと考えられ、丸塚古墳が本古墳に先だって築造されていたことを想定させる

じゃあ元々ややこしい形してたのね。そして一緒に掘られちゃった丸塚古墳のせいなのね。一蓮托生じゃないか。
それにしても、「碧玉製琴柱形石製品三点が出土したと伝えられている」って。切ないわ。まあこういうのって発掘されたその時が一番盛り上がるよね。

グーグルマップを参考にお隣の丸塚古墳も見ようと思ったら

柵に隔てられちゃってます。つまり大軌が土砂採取した場所はこのあたりですな。

↖衛門戸丸塚古墳  ↘瓢箪山古墳

迂回すると丸塚古墳も眺められます。

速報で報じられていた衛門戸丸塚古墳。
こっちから見るとわかりやすいですね。

帰りは大和西大寺駅まで歩きました。

はい好き。

色合いがKawaii

考えてみれば平城宮跡も踏んづけちゃってるけどこれは当時宮域認定されていた土地の境界線に線路敷いたからであって、不可抗力だからねっ!! 明治大正期の平城宮跡研究史を線形として残す貴重な史料なんだよっ!!

「マイナーすぎる近鉄史」今後の展望

「山の辺の道」成立史や吉野開拓史など、奈良県の文化史と絡めた記事や、近鉄の主な歴代社長(金森又一郎氏、種田虎雄氏、佐伯勇氏)のエピソードなど、広く紹介していきたいと思っています……が、なにぶん時間と労力がかかる連載になりそうなので、気長にお待ちくださいますと幸いです。

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今回の古墳の話は、以前ちょろっと漫画にしたことがありました。

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