信仰を集める存在は、いつ、どのような状況に陥っても、自分というものを保てるものだ。

 地と共に生きる者

   その夜、カラジとドクは、イゲタニ北東の熱帯雨林地帯で野宿することになった。
 野生も野生のポケモンが多いこの地帯で、ドクはやすやすと高床式テントを組み立てる。
「何をそんなに怯えているんだ。大丈夫、強いポケモンが周りにいたほうが、むしろ守られる。……カラジ?」
「だって」
 こうしている間にもテントは完成に向かう。
「僕、まだあなたのことを全然知らなくて」
「知らなくていいさ。まあ、君みたいに中途半端にジャーナリズムに片足突っ込んでたら、気になったりもするか」
「そんな言い方……」
「いいから寝ろ。明日はすぐここを出る」
「ドクさん!」
 ドクが腕を掴もうとすると、カラジはとっさにそれを振り払った。
「まだ、まだ会ったばかりで、それなのにクオンから二人で逃げてきて……! 僕……」
 カラジの声で、近くにいながら姿は見えないポケモンがううと唸る。それでカラジはまた怯えてしまう。
「そうか、そうだったな。ひとまず、テントには入れ。中で話そう」
 ドクは、その硬派な見た目からは想像しがたいぐらいの、穏やかな、包み込むような口調で言った。そんなふうに返されてしまっては、今はテントに入るしかなかった。

 そのテントは元来ドクの一人用であるから、広いものではなかった。ドクはあぐらをかいて切り出す。
「さて、君はかの有名なニュースサイトのライターだね。演説者が攻撃されたことを記事に取り上げた唯一のサイトだ」
「え、は、はい。あの記事は別のメンバーが書きましたけど、たまに僕が書いていることも」
「わかった。つまり君たちはペン派か」
 ドクが言ってすぐは、カラジもぴんとくるものがなかったが、その対義語が剣だとわかると、ああそうか、と納得した。そういえば、いつかユッカが「剣じゃなくてペン、むしろキーボード」と言っていたと思い出す。
「私は剣だ。この混沌を、力ずくでなんとかしようとしている。まあ、それもこの地にパソコン通信を持ち込んでからのことだが」
「どういうことですか?」
「自分をこの地に必要な存在としてから、派手に立ち回るのさ。他に、私のシステムを簡単に作ることができるやつなんていないからな」
「なるほど……」
 王道なのか覇道なのか、カラジは複雑に思いながらも感心した。
「剣の側がやることなんてただ一つ、この地で頂点に立つことだ」
「はい?」
「チャンピオンだよ、ポケモンの。全く機能していない、汚職だらけのリーグを一掃する。移民とアフカスの民のハーフだ、簡単にいかないことなどわかってるさ。だから、そうなるために」
 ドクの静かな迫力に、カラジはつばを飲み込んだ。
「伝説のポケモン、アフカスに協力してもらう」
「えっ……」
「アフカス。母の部族名にもなっているポケモンだ。知らないか?」
 聞いたことがない。というか、ポケモンだったのか。カラジはゆっくりと首を横に振った。
「今のサクハの地形と深い関係にある、かつてアフカスの民から強い信仰を集めたポケモンだ。ずっと昔の、アフカス遭遇についての伝承がいくつかあるが、いつの日かアフカスは姿を現さなくなった。カロスの植民地となってからは特に、民間信仰としては薄れてしまってね」
「アフカスの民の信仰がアフカスなんだね。じゃあ、アフラのポワルンは……?」
「冴えているな、このポワルンは」
 ドクがボールに触れると、カラジがうなずいた。
「そう、ポワルンを信仰している部族もある。だが、このサクハの地形と信仰が一致し、統一を目指す際にシンボルとなりうるポケモンこそがアフカスなのだ。たとえ姿を現さずとも、サクハ、そしてそこに住む人々はアフカスと深く結びついている。もちろん私も、そして君もね」
 ドクは自分の胸を指す。
 アフカス。そっと唱えるだけで、なんとなく勇気が溢れる言葉だ。
「だけど、どうして……アフカスの民の血が流れるあなたならわかりますが、なぜ僕まで?」
「サクハの地に住む者だからさ。アフカスの信仰は部族ではなく大地に結びついているから、信ずる者の生まれを問わない。今日、あの兄妹と共に湿地を歩いただろう? あのあたりは、アフカスの失った左腕のあたりだ」
「左腕……?」
「ああ。神話になるが、アフカスは自分より生まれ出でたポケモン二匹の争いを止め、二匹を封印するために、自分の左腕を犠牲にした」
「それじゃあ、右腕は」
「まだ存在するじゃないか。ヤエキからクダイにかけて」
 カラジははっとした。家を出てヒウメに向かうはじめに通った道だ。
 地面から生えているかのように直角に伸びた崖が、まさか伝説のポケモンの右腕だったとは。
「争いのせいでサクハの地は大嵐となり、アフカスの左腕はなくなった。もちろんこれは、気候変動とそれに伴う地形の変化から生まれた人々の信仰にすぎないのだが。しかしこれこそが、アフカスはアフカスの民という部族ではなく、サクハという「大地」とリンクしている証だな。もともとこの地の名もアフカスであった。移民の誤読によってサクハと名づけられてしまったが、部族の名としてそのまま残った。それで、アフカスはアフカスの民にしか味方をしないと誤解されることも多くなったのだが……」
 地と同一の存在、アフカス。
 今この地がサクハと呼ばれていることに対し、彼はどう思っているのだろうか?
「アフカスはサクハの地、人々、そしてポケモンたちを見守っている」
 カラジの心を見透かしたように、ドクが言った。

<四の記憶・了>

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