シャツとメール


 随分と速いな、とその日のオーナーはカクタを褒めた。
 カイナシティに住む日雇い労働者、「顔シャツ」ことカクタの今日の仕事は、船で運ばれてきた貨物を各トラックに運搬することだった。周りのポケモンたちにも指示を出しつつ、全ての貨物を正確に積み終えたのは、オーナーの見積もりより一時間早かった。
「それじゃはい、お給金。奥さんや子供もいるのだろう、しっかりな」
「はい、ありがとう」
 カクタが給料袋をしまい、街に駆けだすと、顔シャツー、と呼ぶ声が聞こえた。
「今日はハンテールかよ」
「一番好きなポケモンさっ」
 カイナシティの子供たちがカクタのシャツを見上げて言う。「顔シャツのカクタ」は、いつもポケモンや有名人の顔が大きくプリントされた服を着ているため、ついたあだ名だった。
「またサーフィンやるんやろ、こげなええ天気の日に波に乗らんことなかよね」
「ああもちろん! 俺はそのために仕事をさっさと終わらせたんだからな」
 カクタは豪快に笑って、子供たちの前を歩く。砂浜に着くと走り出し、トランクス姿になった。
「よしいくぞ、ハンテール!」
 数少ないモンスターボールに入れて連れているポケモン、ハンテールを出す。水浴びがしたいとうずうずしていたハンテールはすぐさま海に飛び込んだ。
 カクタ自身も真夏の海にテイクオフし、うねる波に乗る。波の外ではハンテールが楽しそうに泳ぎ、子供たちが目をきらきら輝かせていた。
「かっこいい!」
「俺たちにも教えてー!」  子供たちにせがまれ、カクタはひとつ頷いた。
「じゃあまず、ここいらの波を読むこと。慣れないうちは同じとこでずっと練習するのがいいからな、どんな波が来るのか知っておくのは大事だぞ」
「そっかー」
 子供たちが波を眺めはじめると、カクタはハンテールをボールに戻し、帰路についた。

 ○

 ついに、ヒヨにとっての初授業の日がやってきた。
 まず、ウィエに招かれて驚いたことといえば、ソラたち家族はプレハブ小屋のような家に住んでいるということだった。土足で入ることができ、家具も必要最低限しか置いていない。
 家なんですよね、という失礼な言葉を呑み込み、ヒヨは席についた。向かい側の子供用チェアにソラが座る。
「この前のおちょうめん、持ってる」
「これでしょ!」
 ヒヨが訊くと、ソラは嬉々として帳面を取り出した。初めて会った時にヒヨが留めて作ったものだ。
 見ると、すでに鉛筆でぐるぐると落書きされている。まだまだ鉛筆を動かす力がついていないので、それを見てヒヨはまず読みから教えることにした。
「じゃあちょっと書くね」
 ヒヨは落書きの合間に文字を書いた。

 そら

「そらだ!」
「あ、わかるか」
「うん! でも、ママが書くより上手だね」
 その言葉を聞いて、ウィエは少し困り顔になった。でもアルファベットはお母さん上手でしょう、とヒヨが言うと、ソラは大きく頷いた。
 それからはまあ、五十音か、と思い、ヒヨはまっさらなページに「あ」から書きはじめる。しかし、その時間はソラにとっては非常にもどかしいものだった。
「まだ?」
「まだ」
「まだ?」
「……あのねぇ」
 た行を書きはじめた頃から、ソラはしきりにまだかまだかと言ってくる。そんなソラの肩に、ウィエが優しく手をのせた。
「お姉ちゃん書いてくれてるでしょ、ごめんなさい、せっかちで」
 せっかち、か、と、ヒヨはウィエの言葉を反芻する。
 ソラの顔を見ると、ソラは唇をつんと前に突き出していた。その様子を見て、ヒヨはページをぱらぱらめくる。
「ひよっこ?」
「ならこうしよう」

 じぐざぐま ほえるこ こいる

 ポケモンの絵の隣にさらさらと書き上げていくのを、ソラは真ん丸い目で見つめた。
「まずはポケモンの名前で覚えましょ。このポケモンはわかる?」
「うん、ジグザグマでしょ! パパが教えてくれたよ」
「そう。じゃあこのポケモンは?」

 一日目はこのようなやりとりで授業が進んだ。ヒヨも元来せっかちな性格だから、文字を少しずつ書いてソラに見せるやり方のほうが性にあっていると気が付いたのだ。
 そうやってページをめくっていくと、横線が数本引かれただけで、絵のない紙に当たった。
「あ、あれ? ひよっこ?」
「これは――」
 説明しかけた時、ただいまー、と大きな低い声が聞こえた。その声にウィエが返事する。
「カクタ、おかえり。今ソラの先生が来てるから、そんなシャツじゃなくて……」
「お気になさらないでください。あの……カクタさん、ハンテールがお好きなんですか?」
 ヒヨが訊ねると、そらもう大好きだよ、とカクタはボールをかざした。
「別に出さなくても」
「いえ、是非見せてください。ソラちゃんのためにも」
「ソラのために?」
 ボールから出たハンテールは、蛍光灯の光を浴びても怯まなかった。その様子を見て、ホウエン生まれではないな、とヒヨはすぐに察する。
「ほらハンテール、見て、この紙」
 ヒヨが絵のない紙をハンテールに見せると、その紙にはまるで鏡写しのようにハンテールの姿が印画された。
「え、なんで? 見せて!」
 帳面をソラに渡し、ヒヨは得意げに話した。
「トレジャーメール。宝物、って意味でね。見せたポケモンの姿がうつるようになってるの」
「へえ、すごいのね」
「パパのシャツとおそろい!」
 ソラの横から、ウィエとカクタも興味津々といった様子で覗き込む。二人としてはもっと眺めていたいのに、ソラはすぐにページをぱらぱらめくり始めてしまう。すると、他にも絵のない紙が見つかった。
「全部“トレジャーメール”?」
「そうみたいね。これから、出会ったポケモンに紙を見せてあげたらいいんじゃない?」
「そっか!」
 ヒヨが鉛筆を持ち、手を出すと、ソラはそこに帳面を渡した。ヒヨはさきほどの紙面に、はんてーる、と書き込んだ。


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