幕間の逡巡


 その後、どうやってその窮地を切り抜けたのか覚えていない。とにかく、最終兵器が目覚めたというのは事実だ。
 大きな揺れにより、ザリストはサルビオと引き離された。それから、ニダンギルとサメハダーを出して、それから。
 どうしても思い出せないから、ザリストはひとまず、目の前で疲弊している二匹に“オボンの実”を渡す。二匹の傷と表情を見て、ただただ必死であったことだけは覚えている。
 自分も疲れているというのに、木の実を嚥下したニダンギルはザリストを心配そうに見上げる。あまり懐いていないサメハダーですら、その視線から気にしていることがわかった。
「……なんで」
 記憶を辿れば、最後にサルビオが発した悲鳴は、高かった。

 ○

 人はなにかの境地に辿りつけばなんでもできてしまうものだなぁ、と思いめぐらすサルビオはいたって平静だった。というか、ポケモンもか。特に、持っている一輪の花をバットのごとくスイングし、襲い来る瓦礫を片っ端から吹っ飛ばしたフラエッテの動きたるや見事であった。クレッフィやプテラも、よくやってくれた。

 トランスジェンダーという言葉がある。
 女の身体に生まれておきながら、心は男だと自覚したのはいつ頃だったろう。ひょっとしたら、この世に生を受けたその時からかもしれない。
 とにかく、それが原因で、母が子供を二人とも引き取る――ザリストと共にいることは叶わなかった。色々ややこしいわけであるから、ザリストは父が引き取るということで同意したのだ。
 サルビオはクレッフィを見た。あれだけアジトが崩れたのに、クレッフィは鍵のひとつも無くしていなかった。
 クレッフィはサルビオにとって初めてのポケモンで、父と双子の兄と別れて数年で母から与えられた。サルビオはまだ十歳にも満たなかったが、母と別れた時、なぜこんな早くにポケモンを与えられたのかを理解した。要するに、はやく一人立ちしてほしかったのだろう。
 それからは好きに生きろと言われ、性別を変えて男として生きることを決めた。クレッフィと、その時すでに仲間になっていたプテラは、同意してくれた。
 しかし同時に、昔わずかに遊んだという記憶だけがある兄のことは、忘れなくてはならないと思っていた。それで今回のこれだ。いつも多くを知りすぎてしまう。パパラッチという職がそうさせたのかもしれない。
 こういう時でさえ、この場所に足が向いてしまうのはもはや職業病だ。サルビオがミアレシティに足を踏み入れた時、場はひどく混乱していた。

 ○

 その日は、バレエ学校も劇場も休みだった。
 他にも、臨時休業の看板が掲げられた施設は多い。都市インフラを支えるタクシーやゴーゴーシャトルは、かろうじて間引き運行している。
 最終兵器とは何なのか、オーパーツ、伝説のポケモンとの関わり、それから、果敢にも兵器を止めに向かったという少年少女たち、もはや人々は噂に真偽の程など求めていないようにテルロには思えた。
 だから、テルロの向かう場所は一つだけ、最終兵器があることが確かなセキタイタウンだ。
 セキタイに向かうにはこの方角で合っているのか――見回していると、見慣れた頭が視界をちらつく。
「ハルンさん!」
 テルロは思わず呼んでいた。ヒャッコクシティの件を予知し、テルロに教えてくれたハルンだ。雑踏にかき消されても、自分を呼ぶ何者かがいる、ということを察知してハルンは顔を上げる。
 なんとか近づけたハルンは、頭飾りをつけていた。公演中止になったその日、ハルンも出演予定だったのだ。
「サーナ……」
 ハルンは不安そうな声を上げるが、テルロは人差し指でその声を静止した。そして、道の端まで行って、手を振る。
 『くるみ割り人形』の振り付けだ。人形(大体演じるのはジュペッタかゴビットだ)が、敵と対峙する時の踊り。意味するところは、「戦い」だ。
 最終兵器の発動を防がねばならない。そのためには、戦うしかないのだ。
 サーナイトはテルロの気持ちを知り、はじめて会った時のように、手をぎゅうと握った。
(ハルンさん)
 キルリアの頃から背が高く、また技術もあって、将来はエルレイドになってさぞ活躍するだろうと期待されていた。
 しかし、自分が進みたかったのはこの道だった。多くのファンの期待を裏切って、サーナイトに進化した。
 それからの苦労も計り知れなかったけれど、バレエを好きな思いが、そして好きなままでいてくれたファンの「ブラボー」という声が、自分を救っていてくれたのだ。
 そして、目の前の、このテルロというアマチュアダンサーも。
 ハルンが手を離した時、テルロはマイムで応えた。手の甲を顔の横に置き、くるりと顔を撫でる。「美しい」という意味だ。
 テルロもバレエに魅了された人だ。舞台では、踊りとマイムが全てを語る。そこには、言語も、人とポケモンの違いもない。誰もが楽しむことができる。
 はじめハルンは、ただ憧れている遠い存在としか思っていなかったのに、近くで見るにつれて、このサーナイトは本当に美しいと、そう思うようになった。
 テルロは何も話さず、ハルンに背を向けた。そして右手を振る。
 ――必ずやるさ。
 その後姿を見て、ハルンは胸に手を置いた。彼と、いつか舞台で共演できますように、自分が、長くダンサーでいられますように、と。


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