さまよう恋路


 サルビオの育った町シャラシティは、いつもより幾分か落ち着きがなかった。メガシンカ関係の研究者やトレーナーたちがよく出入りするようになったからだ。
 ポケモンバトルほどにすぐ新しいものを取り入れる競技もない。この町が守ってきた秘技も間もなく大衆化されるだろう――とサルビオは思う。
 その日もサルビオはマスタータワーがよく見える高台にいた。砂浜は人々の足跡で濃くなっている。
 ほら、また足音が――と思ったが、それは砂浜を歩く音ではなく草地を歩く音だった。その音はサルビオの背後で止まる。
「あんた、アイセルビアでしょ」
 サルビオは振り向いた。火のような朱色の髪に、おしゃれなサングラス。確かこいつはフレア団の、否、幼馴染の。
「まさかヒャッコクシティで会うことになろうとはな」
 彼女の問いには答えず、サルビオは返す。彼女――ジンジャーは、全くだわ、と言った。
 ジンジャーの育ちもシャラシティだから、サルビオは顔ぐらいは知っていた。幼馴染といっても、サルビオは女子集団の中ではかなり浮いていたから、接点はほとんどない。
 わからないものだ。彼女はフレア団に入団ししかも幹部にまで上り詰め、自分は性転換して双子の兄を見つけた。
「その出で立ち……あの長身のボスに随分未練があるみたいだな」
「当たり前じゃない、フラダリ様を侮辱したら私が許さないわよ」
 ジンジャーはきつく言い放った。
 どちらからとも構わずに、二人はマスタータワーを見た。
 誰かにとっての悪は誰かにとっての正義。
 男になるために育ての親を裏切る。妹を見つけるために秘密結社に加担する。助けてくれた者の思想に染まりともに歩むことを決意する。
 ひとつの町で何十年も守ってきたものを世界に広めるために、町の伝統を犠牲にする。
「答えなんかあるのかしら」
「フラダリを見つけた時にわかるんじゃないか」
 サルビオが言うと、それもそうね、とジンジャーは言った。

 ○

 集中してる? とアリサに言われ、テルロは我に返った。
「さっきのパ・ドゥ・ドゥはぴったり合ったのに、黒鳥になった途端……まあ、あなただけを責めるわけにはいかないけど」
「ごめん」
 テルロは腕で顔の汗を拭って、またはじめの位置についた。
 なぜだろう。
 わからない。
 夜の湖で儚げなスワンナを見てともに踊った王子が、なぜいとも簡単にブラックスワンナに落ちてしまうのか。所詮、恋慕とはそういうものなのだろうか。
 テルロは考える。ブラックスワンナ役のアリサと視線を合わすと、アリサは勝ち気な表情を浮かべた。彼女のキャラにはこちらの役のほうが合っている。しかし、テルロはどこか違和感を抱く。
 違和感の正体がわからぬまま、その日はそんな調子でレッスンが終わった。明日の午前は久しぶりの休みだ。

 例えカフェにいたとて、美容や健康に気を付けるならば、当然「水」……なのだが、それはバレエ仲間と行ったときの話。
 今日、窓際の席でともに過ごしているのは作家志望のロゼッタであったから、テルロはタピオカドリンクをオーダーしていた。独特な食感のタピオカを舌で転がし、一息ついたところで、テルロは話を振った。
「いざ踊ってみるとわからない……」
「ブラックスワンナにあっさり落ちちゃう王子の気持ちが?」
 ああ、と、テルロは言った。人差し指をぐるぐる回し、視線は斜め上だ。
「まあ、恋愛の話に障害はつきものだしね。恋愛小説だって、素敵な、憧れるような恋ばかりじゃない。浮気や不倫の話もあれば死別の話もあるわ。ブラックスワンナが二人の恋路に立ちはだかることで盛り上げるって役目ももちろんある」
「それはわかるけどさ」
 せわしなく動くテルロの手を目で追っていたニンフィアは、すでに疲れつつあった。
「王子は本当にスワンナが好きだったのかなぁ」
「確かにそこを疑う余地はあるわよね。一国の王子ともなると、結婚の相手についてもいろいろ言われていた可能性だってある。湖のスワンナは様式にがんじがらめの彼の心を癒した……だから惹かれたのかもしれない。対して、舞踏会に現れたブラックスワンナは、少なくとも王子には家柄すら騙せたわけだし、王子からしたら、こんな美しくて家柄もしっかりしてる子、結婚するほかない! と思ったかもね」
「バレエ作品だからって好き勝手な解釈だね」
「あら、いいじゃない。それに、スワンナとブラックスワンナって同じ人がやるんでしょう? 相手の女性も大変よね。彼女とももう少し話してみたら? 互いの解釈を一致させるのは大事だと思う」
「互いの解釈……か。ごもっともだな。今日はありがとう、ロゼッタ」
「いえいえとんでもない。あーあ、私も久しぶりに湖畔のスワンナ、見ようかしら。渦巻く陰謀、迷える恋路! ミアレバレエ団のもいいけど、イッシュバレエシアター版では、ラストで二人は湖に身投げしてしまうのよね。そして死を賭した愛の力で悪魔を倒す……悲しいけれど、これはこれで」
 今日借りてこよう、と言って、ロゼッタは立ちあがった。
 愛の力。
 今の己の技術と解釈で、それを表現しきれるだろうか。
 ロゼッタと別れてからも、テルロはそのことについてずっと考え続けていた。隣を歩いていたニンフィアがつまらなそうな顔をするのにも気付かない。
「いや、やり遂げよう!」
 いきなり顔を上げて叫んだものだから、ニンフィアも驚いた。
 やり遂げなければならないのだ。プロになるために。ハルンに近づくために。


 めあさん宅ジンジャーちゃん、吟悠雪さん宅ロゼッタちゃんお借りしました。
 160513 ⇒NEXT