霧の伝説、無の刺客


 ゾラにはしばらく出てくるな、と言った。
 テルロからの電話を乱暴に切って、サルビオは突如現れたそのポケモンと対峙する。傍らには双子の兄、ザリストもいた。

 ザリスト、サルビオ、それからゾラ。
 ゾラの強い希望で、三人一緒に散歩をしている、そんな平和な日となるはずだった。

 少し遠くに行ってみようか、というサルビオの提案で、三人は輝きの洞窟付近まで来ていた。ここは自然のアスレチックといった地形が続いており、わんぱく盛りのゾラも元気に駆けて、ザリストとサルビオが遅れをとることもあった。
 そんな時だ、あの白い霧がこの地を覆ったのは。
「え、これって」
 全く視界が効かなくなる前に、サルビオはゾラの腕を掴む。そして木の陰まで慎重にゾラを送り、言った。「しばらく出てくるな」と。
「ボルケニオン……まさかこんなところで出会うなんてな」
 のうのうと見つめている暇などない。近くにゾラがいなかったぶんすぐに反応できたザリストが、手探りでボールをひとつ取った。
「頼んだ!」
 ザリストがどのポケモンが入ってるかもわからず投げたボールからは、ニドキングが出てきた。
「ニドー!」
「よし、ニドキングか。まずは“冷凍ビーム”。それから……」
 木の前からあまり離れたくないと思っているサルビオの代わりに、ザリストがニドキングに指示し切り込む。くれぐれも“大地のちから”は打ってやるなよと思いつつ、サルビオもボールをさぐる。
「“不意打ち”!」
 氷の砲で相手の位置を把握し、相手が攻撃姿勢に入ったところで一気に間合いを詰めた一発。ニドキングのフットワークも抜群で、ペースはザリスト側となった。
 しかし、それもただの油断に終わってしまう。
「……ニドキング!?」
 “不意打ち”を決めたはずのニドキングが霧の海から戻ってきたとき、無数の氷の破片がついていたのだ。ニドキングは地面タイプであるから、自分も使えるとはいえ、氷タイプの技にはめっぽう弱い。
「ボルケニオンは氷技も使えるのか……?」
「いや、違うな。俺のフラージェスはわかってる。正体を現せ、“ムーンフォース”」
 月光を借りて放つその技により、視界が少しだけ効くようになる。ザリストとサルビオには、ボルケニオン以外に大小ふたつの影が見てとれた。
「ご名答。切り込み隊長くんに知将くん。これだからコンビってわけね」
 大きな影は女性であった。淡い色の髪をなびかせ、はしばみ色の瞳を光らせる。
「ごめんなさいね。私のアンノーン、氷タイプの“めざめるパワー”しか技がなくて。挨拶がわりに思わず打ってしまうのよ」
「……何が目的だ」
 サルビオが訊ねた。何人ものスターを見てきたサルビオは、この女性から得体の知れないオーラを感じ取ったのだ。
 女は近くにふらふらやってきたアンノーンを撫でながら答える。
「んー、そうねえ。ここよりちょっと南に、ボルケニオンの水蒸気爆発で出来た平野があるの。その地域では、ボルケニオンを国造りの礎となったポケモンとして崇めているんですって。興味深いわよね。そんな尊いポケモンを、モンスターボールに収めてしまったら、どうなるのかしら……ってね」
「……お前! まさかボルケニオンを捕まえようと」
「もちろん。邪魔するならあなたを始末する手間も増えるけど、詮無いことね。ねー、バイ……」
 トッ! と叫ぶと同時に、そのアンノーン――Bの形にちなんでかバイトという名前がついているらしい――が一気にフラージェスのリーチ的につらい場所に潜り込む。
「氷はじけさせちゃってー!」
 ぽぽん、とショーのようにはじけた氷のかけらが、フラージェスの身を傷つける。
「本当にアンノーンなのか……?」
「応戦だニドキング、不意打ち」
 アンノーンが攻撃技しか持たないのであれば、素早く打てるその技は最良の選択ともいえる。
 しかし、女、アンノーンともに、終始フラージェスに注目し続けていた。
「……身代わり人形? なんのために?」
 ニドキング側に戦意が向くと思い、サルビオはフラージェスにそっと“みがわり”を指示していたのだ。
 しかしそれもあっさり見破られる。
「あの木に何かあるのかしら。バイト、調べてみましょ」
「やっ……」
 やめろーー!!
 サルビオが力の限り叫んだも空しく、なにか騒々しいと、ゾラはのろのろ顔を出した。
「さるびお、ざりすと、まだー?」
「ゾラ!」
 最悪だ、全ての行動が裏目に出てしまう。
 それを見た女はアンノーンにすぐさま攻撃をやめさせ、にたりと笑う。しかしはしばみ色の瞳は笑っていない。
「路線変更! っと」
 女は新たにピジョットを繰り出し、跳躍してピジョットの脚を掴んだ。
「マッハ飛行ー! ……あらよっと」
 大樹の前にて、あざやかな手つきでゾラを拾う。サルビオも、ザリストも、本体のフラージェスも、ニドキングも、その場にいた全員がその素早さに反応できなかった。
「また会うかもねぇ、少年たち」
 彼女はそう言い残し、ゾラを抱いて霧に消えた。アンノーンもそれを追う。ボルケニオンはいつの間にか移動していたようで、辺りには沈黙だけが残った。

 絶句するしかなかった。
 息が乱れるのは、けして霧で空気が薄くなったからではない。
「……サルビオ」
 なんとか自我を保ったザリストから双子の片割れを呼んでも、返事がない。
「サルビオ!」
「……ああ、ザリスト」
 ほとんど倒れ込むように、サルビオはザリストの両腕に収まった。
「俺はなんてことを……!」
「自分を責めても仕方のないことだ」
 フラージェスとニドキングも悲しそうな顔で二人の表情を窺う。
「フラージェス、ニドキング……ありがとう。ザリスト」
「なんだ。ゆっくりでいいから言ってみろ」
「ゾラを一緒に追ってくれるか」
「当たり前だ」
「なら聞いてくれ」
 サルビオはゆっくり、ザリストの腕をほどいた。霧のせいで全体的に濡れてはいたが、温もりのやどった腕だった。以前サルビオは厚着していたから、気が付かなかった、兄の温もり。
「ゾラ……彼女の母親はウィエだ。俺たちと同じ」
 そこで次はザリストが絶句するはめになった。なにかと勘の良い片割れだが、それを信じたくないという思いと、今までのゾラの行動を見て確かにそうかもしれないという考えが交差する。
「……間違いないんだ」


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