僕のエトワール


「えっ」
 その時、はじめてテルロはハルンと目が合ったような気がした。ハルンは苦しんでいる。僕が助けなければ!
 アンノーンがテルロとハルンの周りをぐるぐるとまわる。ふたりの運命を見定めるかのように。
 ハルンはまた両手で力を込め、念力を放つ。
「ガード!」
 テルロは昔友人とふざけて遊んだ時のポーズを取る。もちろんそんなもので守れるわけもなく、テルロは吹き飛ばされた。既に体中に切り傷ができている。これ次のレッスンの時なんて言おうかな、と、のんきなことを考えて自我を保つ。
 ハルンはいたって真面目な性格だ。そして熱い。そんな性格も彼の心を蝕んでいるのかもしれない。
 もっと気楽に生きたっていいのだ。
「……さすがに痛い」
 テルロはよれよれと立ち上がった。アンノーンは驚いたように跳ねる。
 命に代えても守ってくれ、とサルビオは言った。その言葉が、今になって理解できる。
 自分にも、守りたい存在があるのだ。
「ちょっげー!」
 その気持ちを読みとってか、ゾラの腰からひとりでにポケモンが出てきた。トゲピーだ。
 トゲピーは走り出す。一歩前に出ると身体も傾く、そんなあどけない足取りで。
 ハルンも攻撃の手をゆるめない。タマゴの殻が少し欠けた。見ていられない、とテルロは思う。しかし、幼いポケモンのまっすぐな思いはテルロにも伝わってくる。何度転んでも、傷ついても、トゲピーは立ち上がってハルンのもとへと走った。
 ハルンがトゲピーの足下を狙って攻撃した時だった。とん、とトゲピーは飛びあがり、まばゆい光に包まれたのだ。
「……フラッシュ? いや……」
 その光景に、ハルンも一瞬、攻撃が遅れる。あの夜の自分がフラッシュバックする。
 自身を解放した、進化の光。
 翼を得たトゲピー、否、トゲチックは、ハルンの額に口づけた。
「天使のキッス! いやでも、どうして……」
 ハルンは目を見開いたが、直後目をとろんと細め、足下をふらつかせた。混乱状態になったのだ。攻撃は外れ、さらに自分を攻撃し始める。
「トゲチック、何か策があるのか?」
 テルロが言うと、トゲチックはテルロのもとに戻り、ゾラを持ち上げた。飛べるようになってすぐにこんなことができるのだから、たいしたものだとテルロは思う。
「僕もやってみる。ありがとう、君の頑張りは絶対無駄にはしない。この子をよろしく。……」
 テルロはハルンのもとに向き直る。そして、バレエの五番のポジションを作る。
 そのまま跳躍する。テール・ロゼ・ブアンはジャンプが得意だ、と多くのファンに言わしめた。ジャンプの技を極めたのも、ハルンに憧れてのこと。
 トゲチックの頑張りに傷の痛みも忘れ、踊りでハルンとの距離を詰めてゆく。
 そして、ゆっくりと、しかし叫ぶように、その名を呼ぶのだ。
「ハルーン!!」
 憧れの先輩。同じバレエ団になって、いつか自分も這い上がって彼と踊るのだと心に誓った。
 また、この響きはハルンにとって、バレエの世界と自分を繋ぐものでもあった。完全に野生に戻ってしまう前に、今までの輝かしき日々を思い出させるような。
 テルロの声と差し出した手に、ハルンは応えた。混乱のとけたハルンは、テルロの手を取り、左足をぴんと上げ、見事なポーズを取って見せた。
 バレエの最も基本的かつ美しいポーズ、アラベスクだ。
 ハルンの目は輝きを取り戻していた。夢を叶えたバレエダンサーの目。
「……ハルンさん」
 感極まれりといった様子で力の抜けるテルロを、しかしハルンがしっかり支えた。いつでもこのひとには勝てない、とテルロはぼんやり思う。

 その場にゾラの肩を抱いたトゲチックが来て、場にふたりの傷を癒す光が注ぐ。ふたりが対峙していたとき、トゲチックはこっそり“願い事”していたのだ。
「天使のキッスで、一度ポケモンバトルとしての混乱状態にさせて、雑念をすべて払わせる……なるほど、そんな作戦もあるのか。助かったよトゲチック」
「ちょげ」
 それを聞いて、トゲチックは笑う。トゲピーのときとあまり変わらない、子供っぽい声でありながら、少しの余裕もみられた。
 痛みの和らいだテルロは立ち上がり、五番のポジションにつく。それを見たハルンも立ち上がった。
「ハルンさん」
 テルロは改まって話しかけ、ポケットからひとつの球を出した。
「僕のポケモンになってください」
 パステルカラーに輝くその石は、アリサに貰ったキーストーンだった。路地裏での出来事がひと段落した際、呼びとめられたアリサに渡されたのだ。「いつかギャラドスナイトを見つけた時のために、と兄から貰ったけど、テルロが持っておいたほうが良いと思う」という言葉つきで。
「……サナナ」
 それを聞いたアンノーンが、どこから持って来たのかは知らないが、隣にオーパーツのサーナイトナイトを浮かせた。
「くれるのか?」
「ノン」
 言葉の響きは否定だったが、アンノーンは念で浮かせていたサーナイトナイトをハルンの手に乗せた。
 そしてハルンは、その手をテルロに見せる。
「後悔、しないか?」
「サナ!」
 ハルンは強く頷いた。それを聞いて、テルロはいつものヒールボールを出す。
「……おかえり、ハルン」
 ハルンと呼ばれたサーナイトは、慎ましくボールにおさまる。それを見たアンノーンはどこかへ去り、トゲチックは祝福の光を注いだ。


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