競争社会と闘争ホーム


 その日、テルロは案の定大目玉をくらった。プロのバレエダンサーを目指す者が遅刻とは何事か、と。
 それに対する言い訳は何もできなかったから、せめて誠意を伝えるために、居残り練習をいつもより長くとる。あるダンサーは、「床が壊れるまで練習しろ」と言われたらしいが、いくらグランジュッテで着地をしようが、壊れそうにもない。というか、バレエダンサーならば体重も軽いのに、床を壊すことなんてできるのか、と思う。
 その横で、同期の女の子がトウシューズを潰した。女性ダンサーにとって、トウシューズは一日一足消費するものらしい。テルロは男であるから、トウシューズを履くことはなかったが、こちらのほうが恐ろしい話だ。
「お前まだやるのか」
「まあ、さすがに今日は」
「そうか。掃除任せていいか」
「うん。まだ残ってるし」
 そのスタジオはテルロ一人になった。広い鏡張りの部屋で、テルロは一人くるくると舞った。

 午後十時になっても、ミアレの夜はこれから、という雰囲気であった。元々都会であるし、カロス地方は日の入りが遅い。テルロは特に意識していなかったが、彼の故郷にある「ヒャッコクの日時計」に陽光が重なるのが午後八時代だということが、カロス地方の日照時間の長さを端的に表しているらしかった。
 モップをかけ、鏡についた指紋を拭いて、テルロはロビーに出た。そこに、「彼」がいた。 「ハルンさん!」
 ミアレバレエスクールの上部組織である、プロの「ミアレバレエ団」のダンサーたちは、毎日この時間まで練習している。テルロは疲れを忘れ、ハルンの手をとった。
「そ、尊敬しています。僕、ハルンさんのグランジュッテが大好きで、それにいつもパートナーと息ぴったりで……」
 そう言ったテルロを、周りのダンサーたちは白い目で見た。ハルンのグランジュテが優れていることも、パートナーと息が合うことも、ダンサーたちにとっては当たり前であり、今さら言うものではない。むしろ、本人に言うなんて畏れ多いと考えるべきであろう。  しかし、ハルンは笑って、テルロの手を握り返した。
「サナッ」
「ハルンさん……」
 僕、頑張ります。あなたみたいなダンサーになれるように!
 そう心で叫び、ハルンと別れた。至近距離で見ると、サーナイトというポケモンとしての優しいまなざしと、男性ならではの熱い視線が感じられた。

 その日は、トリミアンのトリミングをしてもらって、家に帰った。
 トリミアンは、五日で毛が元のぼさぼさに戻ってしまうから、まめにトリミングをしてもらいに行かなくてはならない。
 部屋に戻っても気持ちよさそうにブラッシングされているトリミアンを見て、ニンフィアはテルロの前に出た。
 ニンフィアは、蝶ネクタイのポジションにとても気を配る。その傾いた蝶ネクタイを見てテルロが言う。
「お前、わざとやったな!」
 その言葉にトゲはない。テルロはポジションをきちんと直して、ニンフィアを撫でてやった。
「はーい、じゃあもうみんな寝ますよー。……クズモーも来なよ」
 テルロは部屋の端にいたクズモーを呼ぶ。ニンフィアが迎えに行くと、クズモーもついて来た。
「ニンッ」
「あ、こらニンフィア!」
 ニンフィアは、トリミアンの上に頭を置いた。
「確かにトリミアンは気持ちいいかもしれないけど、枕にしちゃ駄目だ」
「フィアー……」
 ニンフィアはむすっとして、クズモーと共に布団に入った。
 クズモーとは仲が良いが、トリミアンとはあまり仲が良くない。同じ四つ足で、オスで、そしてトリミアンのほうがブラッシングに時間がかかるから、好きになれないのだ。
 どうにかならないもんかねぇ、と思いつつ、それは自分とクズモーにも言えることであるから、テルロは考えることをやめ、眠りについた。


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