銅のダイナミズム


 突然の開発に嫌気がさしてカキツバタウンに移住してきた人は少なからずいた。そこでは、小波の音とともにゆったりした生活が営まれていたが、よく浜辺に立って水平線をぼうっと見つめている少女ラドナは、自分の意思でここに来たわけではなかった。
 ラドナには両親がいなかった。また、代わりになる理解者もいなかった。
 遠い親戚のもとをたらい回しにされ、結果カキツバタウンに移り住んだ叔母のもとで世話になっているが、叔母とも親しくなることはなかった。
 だが、ラドナは馴染めない理由を肌の色のせいにしたくはなかった。同じ年代の子供たちが遊んでいると、仲間に入れてと言うが、もし入れてくれたとしても、彼らの親が引き離してしまう。
 だから、ラドナは今日も水平線を見つめる。遠い未来を見つめ、裸足で熱い砂浜を踏みしめて。

 ある日、ラドナは珍しく早朝に目覚めた。今は何時頃かとカーテンを開けると、西にそびえる山から太陽が覗きこんでいる。もとから赤いその山が、燃えるように輝いていた。
 階段を下りて、叔母の部屋の扉をそっと開ける。叔母はまだ寝息を立てていた。
 少しだけなら、と思い、ラドナは家を飛び出して山へと向かった。

 近づけばより赤さの増すその山には、ポケモンが作った洞穴があった。ランプをつけて、そうっと中に入る。そのままポケモンに気づかれないよう端に立ち、目が慣れるのを待った。慣れた頃には、ぴちょんと落ちる水の音も怖くなくなっていた。
 それから、腕や脚に軽く泥を塗る。これだけでポケモンは意外と警戒しなくなるものである。足音を立てず通り過ぎれば、関心を持たないポケモンがほとんどだった。
 そこで営まれているのは共同体としての生活である。こんな暗くじめじめした場所であっても――これは人間の主観でしかないが――ポケモンたちは逞しく生きている。
「何してるの?」
 ラドナは穏やかそうなサンドパンに話しかけた。すると、硬い木の実をひょいと渡される。ランプを近づけて見ればどうやらオレンの実らしい。サンドパンは前に向き直り、指をすぼめて自分の持つ実を潰し始めた。
「サーン」
 すぐそこで声が聞こえ、ラドナは光を直接当てないように目を凝らす。そこにはまだ小さなサンドがいた。
「やわらかくしてあげるのね。待ってて」
 ラドナはうん、と力を入れて、まず実をふたつに割った。それから四つ。しかしそれからは、果汁で手が滑って割ることができなかった。爪でえぐろうとしたが、泥が入ってしまう。そこでサンドパンは、ラドナが割った身をかき集め、また潰し始めた。サンドが食べようとすると、まだよ、と言うように制した。
「いいお母さんじゃない」
 言葉がわからずとも表情で伝わったらしく、サンドパンはわずかに口角を上げた。全て潰し終えてサンドに渡すと、サンドは喜んで食べた。よほどおいしかったのか、ぴょんぴょん跳んでサンドパンと共に笑う。
 そろそろ親子水入らずの空間に、と思い、ラドナが立ち上がったとき、背後からどしどしと足音が聞こえた。足音の正体は、オレンの実を数個抱えたサンドパンだった。おそらく父親なのだろう。母親サンドパンが受け取ると、これまたいい笑顔だった。
 サン、と母親サンドパンがないた。ラドナが下を向くと、父親が持っていたオレンの実を一つラドナのほうに持ち上げた。
「くれるの?」
 ラドナが言うと、母親が父親と子サンドのほうを見る。二匹とも笑って頷いた。
「ありがとう。ちょうどお腹がすいてたの」
 言って、ラドナも笑う。サンドパンとサンドの親子は、ラドナが暗がりに消えるまで彼女を見送った。

 さらに奥まで行き、しめりけが強くなる。そろそろ引き返したほうがいいか、と思い、ラドナはランプを揺らさないよう振り向いた。
 その時だった。
 しゅん、と音がしたのだ。
「ポケモン?」
 それから、何かを蹴るような音が響く。部屋全体に響いているからどこからかもわからず、ラドナはランプをかかげゆっくり見渡した。
 すると、一匹のポケモンが数匹の水ポケモンに蹴られている様子が見えた。ラドナにはポケモンの種類がわからなかったが、攻撃を受けているポケモンは煙を出している。この湿った土地には似合わないポケモンだ。
「どこかから迷い込んで……?」
 ひとり考えていると、そのポケモンはランプの光に気が付き、跳びつこうとした。しかし、動きが遅いためすぐ水ポケモンたちに阻止される。
 止めなければ、とラドナは思う。ただ、水ポケモンたちの凶悪な顔つきを見ると、足がすくんでしまう。考えている間にも、傷ついたポケモンは苦しそうに煙をまく。すると、水ポケモン数匹がむせ返った。
 そうか、顔さえ見なければ。
 それに気づいたラドナは、ランプを持って駆けた。この明るい光で目をくらませてやろうと思ったのだ。
「や、やめなさ、い……」
 ラドナははじめこそ威勢よくランプを振ったが、途中で手が震えて落としてしまった。そこで水ポケモンたちの怒りを買い、ぎろりと睨まれる。攻撃される! とラドナが怯んだ時、一瞬自由になったコータスが煙を思いっきりまいた。
「め、目が、染み……っ」
 ランプの光と煙で目を傷めたポケモンたちは、毒を吐きつつもその場から去っていった。

「助けるつもりが助けられちゃった……って、大丈夫?」
 ラドナは、むなしくうめき声をあげるそのポケモンに駆け寄る。ずっと攻撃を受けていたのだ、硬い甲羅を持ったポケモンとはいえ体力的には限界だろう。煙のせいか、他のなにかのせいか。ラドナは目尻を涙で潤ませる。
「ごめんね、私ポケモン持ってないから……何もしてあげられなくて。ごめんね、ごめんね……!」
 ラドナは、右手でそのポケモンを撫でながら、左手で溢れ出す涙をぬぐった。

 ランプのない状態でも、ラドナは随所随所でポケモンの様子を観察していたため、道を覚えていた。暗闇の中では、目が不自由でもあまり気にならない。
 外に出て風に当たると、また涙が溢れてくる。本当は、泣きたい時なんて山ほどあった。それでも、自分から涙は見せまいとしていた。
「私たち、さ」
 自分の泣きじゃくる姿を見上げ、まだ自分の傷も癒えていないのに、ただ隣にいてくれるそのポケモンに話しかける。
「同じだね」
 そう言って、そっと顔をほころばせる。穏やかな風が、彼女の顔の輪郭をはっきりと空に浮かばせた。

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