私の、新しい世界


「いくぞ、ダイジュのバトル講座―っ! 本日のレッスンは――」
そう言ってダイジュは「計画表」を取り出す。普段は大ざっぱそうに見えて、バトルのこととなると計画的かつ几帳面だ。
「ま、ヤブクロンはとにかく基礎、だな。まず、バトルに必要な筋力を養うこと。ドンカラスとバトル。それと」
「ホウ?」
「お前はどうも右利きみたいだから、第一のステップとして、両腕両足が使えるようトレーニングする」
「ホウ!」
ダイジュの隣で、ドンカラスもうなずく。彼がまだヤミカラスだった頃も同じようにトレーニングしたのだ。
「それでさ、俺考えたんだよね。図鑑を見ると、どうもお前は他のヤブクロンより図体がでかい。だからあんな大きいダストを出せるパワーもあるんだと思う。それでもだ、お前は素早さが足りない。だけどそういう時両利きだったら、対応できるケースがぐんと増える」 ダイジュは、ヤブクロンにも伝わるようジェスチャーを交えて説明する。ヤブクロンはうんうんとうなずいた。

トレーニングは、ドンカラスが隣に立って行われた。ほぼ体操のようなものだ。そして、メニューが一通り終われば、軽くドンカラスとやり合ってチェックしてもらう。
「どうだ、ドンカラス?」
「カァー……」
ドンカラスはヤブクロンの左腕を指す。声色からして、まだ力が追い付いていないということだろう。
「まあ、そんな簡単にバランスなんて良くなるもんじゃないしな。でも、小さい時にやっておくほかはない」
お疲れ、とダイジュはヤブクロンを撫でた。一日目なんてこんなものだ。

ヤブクロン、一発撃ってみろ、とダイジュが言ったのは、八日目の朝だった。
ヤブクロンは驚く。今日は基礎トレーニングもしておらず、また、ダストシュートの練習をダイジュと共にしたこともなかったからだ。
「べとたろうに手本見せてもらったのは覚えてるだろ。あれと同じようにやるんだよ」
「ホウ……」
 不安そうな面持ちで、ヤブクロンは前に出る。
「シオンは、ダストシュートの基礎は固まったって言ってた。それ信じてやってみろ」
「……ホウ!」
 ヤブクロンはあの時と同じようにかまえ、ダストを集めて撃つ。めがけた岩のてっぺんが小さくくだけた。
「ホウ!?」
 ダイジュは岩のほうへ駆ける。まだパワーは足りないが、まっすぐぶつかり、威力も高かったことがよくわかった。
「ほーらな、基礎ってのは大事なんだよ。今度は左で撃ってみろ」
 ヤブクロンは言われたとおりにする。そちらの威力も、右でかまえて撃った時と大差なかった。
「バランス良くなったな。じゃあ今日から、ダストシュートの威力あげるトレーニングもしてくか。正直、今までの飽きてきたろ?」
「ホウッ!」
 ヤブクロンは自分の技の精度に、ダイジュの言葉に、喜んだ。

 それからさらに三日ほどが経った。その日は小雨が降っていた。
「俺は雨とか全然気にしないけど、ヤブクロン、いけるか?」
 ダイジュが話しかけると、ヤブクロンは少し遅れて返事した。
「よーっし今日もやるぞ!」
 ヤブクロンのダストシュートはほぼ完成形に近づいていた。はやくシオンを呼んでバトルしたいという気持ちを、時期尚早だと自分に言い聞かせつつ、ダイジュは内心うずうずしていた。
 やがて雨は本降りになる。一旦休むか、とダイジュが言った時、ヤブクロンはぬかるみに足をとられた。
「ヤブクロン! 動けるか?」
「ホウ……」
 ヤブクロンは、おびえた表情でダイジュを見た。
「……お前、ひょっとして」
 水が、怖いのか。
 ダイジュは、ヤブクロンと出会った日のことを思い出す。下水にさらわれた経験すらあるポケモンだ、水が怖くて当然かもしれない。
「ダイジュくん!」
 その声が、降りしきる雨を通り過ぎて耳に届く。振り返ると、大木の下にシオンがいた。
「これ!」
 シオンは、さしていた傘を閉じ、投げる。無茶な、と思ったが、軌道はぴったりで、ダイジュはなんとかそれを受け取った。
 いつも自分が使っているビニール傘と形は少し違ったが、ひとまずそれを開く。そしてヤブクロンを雨から守る。
「わかってやれなくてごめんな。……ここまで来れるか?」
「ホウ……」
 ヤブクロンはぬかるみからなんとか小さな足を持ち上げ、ダイジュのほうへ向かった。

 ダイジュはヤブクロンを抱きかかえ、シオンがいる大木の下へ行き、傘を閉じた。シオンはダイジュからヤブクロンを受け取り、丁寧にタオルで拭いてやる。このシチュエーションも、また出会った時のことが思い出された。
「いいでしょう、この傘。いわゆるワガサってやつなんですけど、閉じる時に、雨水が内側に入るようになっているんです。周りの人やポケモンに水が飛び散らなくていいですよね」
「これ、結構ちゃんとした傘なのに、投げちゃって大丈夫だったのか?」
「現に壊れていませんし、旅のトレーナーのためにも丈夫に作られている、とのことなので。はあ、でも、ヤブクロンちゃん、よかったです」
「ホウ……」
 ヤブクロンの声はなお弱々しかったが、その表情に恐怖はなかった。
「さすが、しっかりしてますね」
「ホウ!」
「もう疲れたでしょうし、今日はこのへんにしておきませんか? たまにはゆっくり休むことも大切です」
「あ、ああ……」

 ライモンのポケモンセンターで、ダイジュはシャワーを浴びて着替えた。出た頃には、空は暗くなりかけていた。
「あら、案外晴れましたね。そうだ、ダイジュくん、一緒に観覧車に乗りませんか?」
「えっ」
「観覧車なら座るだけで楽しめますし、なによりあそこは二人用ですから……」
「はぁ」
 ダイジュにとって、そのお誘いは嬉しさ半分、動揺半分であった。
 雨あがりで、そもそも人が少なかったせいか、観覧車は待たずに乗ることができた。二人きりであることを意識するとダイジュもうまく話せず、ようやく口を開けたのは、迷いの森がある16番道路が見えた時だった。
「迷いの森、あのへんか? いつも練習してるとこは……」
「あら不思議、あの場所は見えませんね。迷いの森って名前も気になりますし、何者かによって見えないようになってるのかも……なんて」
「えー、そんなこと……でも確かに見えねぇし」
「森もいいですが、そろそろ市街地はイルミネーションがきれいですよ、ほら」
 シオンが言うと、ダイジュは視線をもっと下にうつす。ライモンシティ都市部は無数の光に覆われていた。
「うおおすげー! あれがサブウェイであれがミュージカルホールで……明るい道なんか人いるのまで見える!」
「素敵でしょう? ダイジュくんにもし好きな人ができたら、ここに連れてきてあげたら喜ぶと思いますよ」
「えっ」
「私がそうでしたから」

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