結局、たった三日分の手記だった。
ここからは、私がどうしてこの書斎を一般開放したのか、でも書いておこう。
サクハ統一前のダイロウは、きわめて閉鎖的だったという。
外部との接触を嫌った祖先たちは、この土地により執着するようになっていった。
内陸部の少数民族たち、特に「砂の民」と呼ばれる者たちは、近郊地方へ亡命したり、新しい秩序に同化していったという。
それでも、文化を保ち続ける家族はいた。
ダイロウに転機が訪れたのは、ダイロウジムができあがった頃だ。
統一後のダイロウタウン議会は、ジム建設派とジム建設反対派に分かれていた。
何年も何年も、反対派が優勢であった。建設派は、自分は新しいサクハを見ると言って、ダイロウを出て行く者もいた。
それでも向こうは、ここがジムにはふさわしい、ジムを建設したら観光開発もしようと懇願してきた。
当時、これは多くの議論を呼んだ。自身が観光資源化されてしまうのか、と戦争世代は嘆いた。
だが、若い世代は観光開発に賛成し、活動をはじめたのだ。
“文化を守り、広める”ことを目的とした、未来ある若者たちだったそうだ。
やはり若い力は強い。尤も、私はその時生まれてすらいないが……。
最終的に、その力は、上を頷かせるほどとなった。
ジム建設がはじまると、外部からたくさんのトレーナーが来た。
文化交流により活気を取り戻した民族の人口も少しずつ回復し、ダイロウタウンからダイロウシティに昇格した。
そして、私の代になって、私は史料を多く残したこの書斎を開放した。
守り続けることも文化だが、変わり続けることも文化だ。
時間が止まっているものに価値は見出せない。
それが私の判断であった。
今では、私もジムリーダーに就任し、後輩たちが書斎に遊びに来ては昼寝しているが、これもまた、昔は見られなかった光景。
文化は開いてこそ守られる。
このあたりで、追記を止めておこうと思う。
トギリ
【文章は ここで 終わっている……】
小説という名の設定語り、ここで一区切りです。
トギリはサクハ統一の話について触れていませんが(追記するかもしれません)、統一の話はまた違う外伝で書きます。
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